
詩集 七福神通り 歴史上の人物
神尾和寿
思潮社 2003年6月
受付嬢のヒトマロが 営業二課のヒトマロを放送で呼び出す
「カキノモトノヒトマロ」社といえば
泣く子も黙る
短歌製造会社であって そのなかには
出世街道をひた走る モーレツ社員のヒトマロもいて…… (帯文より)
6 少なくなる
体力の衰えにもかかわらず
かどわかされる寸前の町娘を救おうと
不良旗本集団のなかに切り込んでいったのが不覚だった
残りの片腕を タンゲサゼンは落とされた
残りの目玉もつぶされた
少なくなった サゼンは両足も胴体もラテン音楽のように切り刻まれて
あと わずかになった
一時間が経過したところで
ポケットに入れて持ち運びができるようになった
それでも
その少量のことを
ぼくは サゼンと呼びたい
54 見ている
ナスノヨイチの弓から 矢が放たれた
瀬戸の海の上を
渡っていった
その速度はおそろしくのろくて しばし進んで
源氏は平氏に勝利した しばし進んで
薩摩は徳川に勝利した それでも
ヨイチの視線は矢の行方を追っている
アメリカは日本に勝利した
死の灰をかぶり ラジオからロカビリーを聞きながら そのときも
仁王立ちのヨイチは
まだ見ている
82 東と西と
東の方から ドン・キホーテが
「怪物だあ」と叫んでいる 顔を真っ赤にしながら
槍を研いでいる
西の方の ドン・キホーテ以外の人間はひとり残らず
「風車小屋ですね」とすましている
このように主観と客観の間には依然としてさっぱり交通はないのだが
どうというほどの身分のない サンチョだけには
両者の言い分がともによく分かる
突撃すべきなのか はたまた粉を挽くべきなのか
そのどちらでもよいのか ともあれまずは
話題を
サンチョは変えたい
107 短い時間と長い時間
メドゥーサを
見据えた者にとっての
石になる経過は 瞬間であったが
見据えられたメドゥーサ自身にとっては それは
長くて退屈な
弛緩した日常の時間帯であり その間に
ついつい考え事をしがちであった
たいていは身辺の雑多なことについて思案し
ときには美しい風景や無償の行為といったものを思い描くこともあったが ふと
われにかえれば
私は見据えられているのだなあ
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