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Collection詩集 T         



江口節
江口節


















































































詩集 
草蔭

江口 節
土曜美術社出版販売 200810

生きるとはなにか、と問い続けていると、
問うことが生きることのようだ。(あとがきより)

 

  青空

 晴れた空に子どもの泣き声が響く
 しゃくりあげては
 たしなめる親に いっそう昂ぶって
 かんだかく せつなく
 はてしなく

 あんな風に
 わたしも泣きたい、よ
 大通りで 空を向いて
 あふれる涙に
 よぎる人も見えないほど
 子どもの涙になりたい、よ

 ひとりのトランクに
 ぶかぶかの靴 すこっぷ 流れ星  茶碗のかけら
 毛布 自転車 水平線 鍋に薬缶に
――
 ぎっしり詰めたのは、だれ?

 
今日もよろけてしまった

 おもいきり空を開けて
 ぶるぶる
 振り飛ばしたい、よ





  タビビトノキ


 たぶん 覚えていなかっただろう
 オウギバショウも
 ラベナラ・マダガスカリエンシスも

 タビビトノキ、とあったから
 思い出すこともある
 米を研いでいるとき
 ポストに走っているとき

 マダガスカルは はるかに遠い
 ゆっさゆっさ
 旅人を招いているのだろうか
 インド洋から吹き渡る風に
 バナナのような葉を扇形にひろげて

 葉鞘に溜まる水が旅人の渇きをいやしたというが
 その水には 虫の死骸や泥がいっぱい
 飲めたものではない
 という人もいる、けれども

 その木を
 タビビトノキ、と名付けたちいさな物語が
 しずかに
 空をあおいでいるのだろう

 地球をゆっくり回ってきて
 大陸の東に
 へばりつく島の
 黄砂にかすむ街の端の
 かわいた眼球をこする人の
 かわいたあたまも
 かわいた空も




  朝顔

 紐を渡せば 軒先まで
 伸びていく朝顔
 撒水の滴りが葉に光っている
 毎朝 五十も六十も花をつけ
 触れると破れそうになる薄いはなびら
 びらん
 その蔭から

 いつものようにその人は出かけた
 いつものように汗を拭きながら
 いつもの空に
 六千度ものまぶしいはなびらが開くなぞ
 知るはずもなかった
 破れそうになる薄い皮膚があるなぞ
 思いもしなかった

 川が煮えること
 肉が蒸発すること
 魂がめくるめくこと、なぞ
 気づくはずもなかった

 そうして帰ってきた
 捜す人の張り紙の中に
 写真の中に
 名を呼ぶ声の消え入る先に
 燃えた朝顔の
 家のあとに

 垂れ下がった皮膚の
 赤いずるずる
――
 きょうは 四十三こ
 桃色から藤 紫 青紫 紺
 朝顔の冷たい色ばかりが燃える
 夏
 朝の顔が いくつもいくつも

 びらびら
 びらびら

  

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