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     Collection詩集 Ⅰ  


野口幸雄

































































詩集 
妻が出かけた日

野口幸雄
澪標 2017年5
 

さて 帰るとするか
世の中 ほろ酔い加減で丁度いい

   (「バーにて」より)



    妻が出かけた日

定年だと放りだされてはや十年
家にいるとよくしかられる

妻が出かけた日
冷蔵庫から
しなびかけた ホウレンソウを
とりだし
冷たい水につけておく
シャキッとしたら味噌汁に

鬼のいぬまだ
足を机にほうりあげ
ビール片手に おかきを頬張り
おもむろに
茨木のりこ詩集をめくってみる

ちかごろ気難しくなってきた
なんでもひとのせいにする
(このばかものよ)

妻のイラダチもこのあたりか
しなびかけた この俺さまの

ホウレンソウもシャキッとした
さて食事の支度をしましょうか




    月に吠えた

大学教授の還暦祝いが催された その場で
「齢六十ですか」と言ってしまった

よわい? 物理学の教授はご存知なかった
集まっていたみんなもだんだん どんどん知らないことになる
パーティーは楽しく進んだ
顔で笑って 心で泣いて
座を白けさせることはいたしません
これが大人の流儀です

宴会もお開き
夜風に吹かれると淋しくなってきた
月までしらじらしく 俺をみている

教授がなんでも知っている訳ではない
しかし しかしだ
だれか一人でも知っていれば
ああ そう で終わっていただろうに

バカばっかりか それとも臆病者か
日本では 昔から「よわい」というんだわい




    左手

レーサーになるための練習中に事故ったという
左手の不自由な若者が採用されてはいってきた

書庫の整理だ
いつものことだが若者が集められた
みんなよく働いた

暑い日だった
管理職の心づかいで
冷たいペットボトルが一本ずつ配られた

あっ と思ったその時
レーサー君の横から左手が
すっと伸びてペットボトルをにぎった
レーサー君は右手でキャップを捻った

   

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