◇お断り◇表記できない漢字は別の漢字に置き換え、また、ルビは()で表示しています   

Collection詩集 Ⅰ         


川島洋


















































































詩集 
青の成分

川島 洋
花神社 201310


カメムシは死んだふり。
つぶしてしまおうかな 石で。

 (「カメムシ」より)



   


川べりの道で鍵を拾った。真鍮製の古めかしい鍵だ。こ
の頃は見かけなくなったこんな無骨な鍵を 誰が落とし
たのだろう。交番に届けるのもためらわれ 掌の中でな
つかしいような重みを温めるうち 部屋に持ち帰ってし
まった。

かつてはにぶい光にぬれていたであろうその鍵は くす
んだ黄土色に乾いて 私の机の上に置かれている。時々
手に取り なでさすってみる。すると これは子供の頃
に暮らしていた家の玄関の鍵だという思いが 確かな重
さとぬくもりを増してくるのだ。父も母も若く 屈託な
い毎日を送っていたあの小さな平屋の家。学校から帰る
と鍵を探り出した牛乳箱の裏の隙間。村上君の顔 豊田
君の顔。畑中のおばさんと幼いフミちゃんの顔……

回想は少しずつ寒天状に固形化してくる。それはもっと
淡いままにしておかなければならないのに。とうの昔に
取り壊され失われた時代に手を引かれてはならないのに。
鍵は あきらかにあの扉を開けたがっている。

夜 仰向けに寝て あばらのあたりを静かになぜている
と やがて指先が鍵穴の窪みに引っかかる。そのくり抜
かれた金属の冷たさから私はあわてて手を離す。気づか
ないふりをしているが 私は知っているのである。鍵が
いつのまにか枕の上 私の耳元に来て ひんやりと横た
わっているのを。





  

地下の喫煙場所に下りる外階段
踊り場の壁に あざやかな虹が立っている
(どこかのガラスがプリズムになっているのだ)

先月までは見なかった
冬の 昼前の陽射しとともに
虹はやって来て 少しのあいだ
壁に寄りかかるのであるらしい

一服 という名の時間が
静かに喉を通過してゆくあいだ
煙につられ視線がわずかに仰向く
その先に立っている
一枚のタオルのようにくっきりした虹

もっと浮き立っていいのかもしれない
人に触れてまわるべきなのかもしれない
だが私は言わない
一服 が過ぎればそそくさと三階の机に戻り
黙ったまま 仕事の続きに視線を差し込む
(少し息をつめて)
この虹を 何人の社員が知っているだろう
その一語が社内で口にされた気配もない
だから私も言わない

ときに 虹の前を横切って
喫煙仲間が階段を下りて来る
やあ どうも と言ったきり
その人も黙って一服している
目線が 煙につれて上向いているが
その先に見えているもののことは
やはり口にしない





  ひさご

ひさごの部屋を借りて暮らしている。
出入り口のひどく狭いのが 含み笑いのようで いい。大きな家具
を入れることはできないが 生活はいつだってぐらぐらと不安定だ
から ソファーも箪笥も無用の長物だ。ネットにつながった小さな
箱が 毎月の一定しない収入と損失をもたらしてくれる。

時々部屋を訪ねてくる猫がいる。入り口を開けると音もなく入って
きて体をこすりつける。猫は含み笑いしないが ひさごの部屋は居
心地がいいのだろう いくつかある床の窪みのひとつにすっぽり嵌
まりこみ 丸まって眠る。

二間ある部屋のあいだがくびれて狭いのは 家賃を滞納したような
とき 業者がそこを摑み 逆さまに振って住人を追い出すためであ
るという。本当だとすれば 業者の手はおそろしく大きいのだ。そ
の大きな手を政府が貸し出しているという噂もネットに流れている。
黙認されたひさごの住居がこの国にどれだけあるのか知らないが
どこであれ住人の生活権が保証されているはずはないだろう。

夜のいっとき 猫は湾曲した壁に攀じ登ろうとし ゆがんだ床をさ
かんにころげまわる。ひさごのかたちが母猫を思わせるのか その
胎内でたわむれている感覚があるのかもしれない。

時代そのものがくびれているのだ とモニターの向こうで林さんは
言う。くびれた時代のくびれた世代。だから俺たち 何かにつけて
くびれの入ったものを選んでしまう。傾聴に値する説かと思うが
その説の先はどうなっているのか。林さんもひさごの住人らしいが
居場所は知らない。

夢の中でめが覚めると 海に浮かぶ巨きなひさごの上にいる。猫の
顔をした女と睦びあっていたはずだが 姿が見えない。ひょうたん
島はどこへ行く ひょうたん島はどこへ。青い天蓋の下 ぐるり周
囲を水平線に包囲され 島は閉じ込められている。まもなく海面の
結晶化がはじまるだろう。猫と女はどこかへ脱出したのだ。ひとり
取り残されたのだ。顔が穴になったような孤独の中で 夢から覚め
る。

ひさごの部屋を借りて暮らしている。出入り口のひどく狭いのが
自分自身のようで いい。


   

 index