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     Collection詩集 Ⅰ


中村明美


















































































詩集 
目覚めたら草を

中村明美
版木舎 202011



  空港行きで行って
  空港行きで帰る
  私らも旅のひと
  いずこかへ帰る途上の

  (「北総線」より)


  サラダ

 二階堂さんが咲いた 二階堂さんは薔薇である すこ
し複雑な色 赤やオレンジや黄色 それが幾層にも混ざ
って そこにまだらに光が降ったみたい 私が二階堂さ
んって呼んだので 二階堂さんは死なねばならない た
だの薔薇であったなら 千年も生きられるのに 千年に
ついて考えるといつも眠くなる
 遠い国の蒼い城壁に囲まれた街 路地をぬけた先の知

らない台所 婚礼のために 草原から連れてきた羊の隣
で眠る

 玉川さんはひっそりと咲く 玉川さんは朝顔である
紫と白の小さな漏斗を静かに空へひらく 蔓を伸ばして
ずいぶん遠くの繁みへも行く 玉川さんは神との契約の
ように咲く 光に満ちた真昼でも ふいに私に眠りが訪
れると 玉川さんは急いで白い花ばかり咲かせる 白い
灯に導かれて 私は深く眠る

 早朝の薄闇に包まれて羊は喉を切られた 短い悲鳴
緋色のヒジャブの影 スパイスとオリーブオイを注が
れて肉の塊は樽の中に漬け込まれた 祝福の朝を 薄青
い朝を 草の寝床で私は眠る 血の匂い その温かみを
微かに覚えている その場所へその場所へ 私は深く眠

 城壁で水売りの少年に出会う 銀色のカップを楽器の
ように鳴らして 革袋から水をそそぐ その遠い水脈が
私をさらに深く眠らせる 傷んだ魂が水滴で濡れていく

 雑草に覆われた二階堂さんは その深い茂みに小さな
赤い実を隠している 蛇苺が五つ六つ 含むと酸っぱい
二階堂さんは 苦みと酸っぱさは世界に深みを与えると
言う 目覚めたら草を摘もう みんな混ぜて一皿のサラ
ダにする 目覚めたらきっと 二階堂さんの陰で私は眠
る 遠くで雨の匂いがする




  津軽へ

家に行ってきた
でも誰もいなかった
柱に寄りかかって
しばらく待ったけど
オドもオバもいなかった

病院のベッドで
母はそう言うのだ
窓の向こうは
武蔵野の夏の盛り
田畑が眩しく広がって
遠くで踏切の警笛が鳴っている

オドに電話をすると
農協の旅行だった
アバと一晩留守にした
そうか テルコが来たか

二階の寝室にいたはじめさんも
夜中に階段を
上がったり下りたりする
足音を聞いた
ああ テルコだ
テルコが今 帰ってきた

もう少ししたら
もっと軽くなるから
そうしたら
そうしたら父さんの
背中におんぶされて帰る

もうおわり
これでおわり

母はそう呟いて
本当に息を止めた
そして飛び立った

明け始めた八月の空へ
潮風の光るあの村へ
あんなにも
帰りたかった 生まれた家へ




  水占い


善知鳥神社でと
言ったひとは
来なかった

弁財天宮は
水音に満ちて
その亀石のむこう
龍神水のあたり
視界を過ぎていく
青い魚の影

朝霧がはれて
初冬の陽がさす
樹木がゆっくりと
ひかりを抱いている

その朝
ふいにわかったのだ
行かなかったのは
わたしだ

おみくじをひき
水底へしずめた
それからしろたえで
珈琲を飲んだ

ずっと
そう思っていたけれど
それは
あのひとが後に
書き送ってきた記憶だ

占いがどうだったのか
聞かなかった
とおく
交差した時間が
あわあわと
わたしに降ってくる


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