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Collection詩集 Ⅰ        


遠木順子
遠木順子


















































































詩集 
海の よるの

遠木順子
編集工房ノア 20091

去年から かたく閉ざされたままの鞄のなかには
白いヒトデや赤い海藻が あふれ 笑っている
なんと うかつなこと  
(「海へ」より)



  海の よるの

それほど 屈み込まなくても
よるの深みから 月を取り出すのは 難しくはない

思っていた

月はくらげのように 水に漂っていたのだから

いや
くらげは 数かぎりない月のように
海を 照らしていたのだ

暗く磯のにおいに埋もれた想いを捨て
幾千にも笑みこぼれる鏡のような 明るみに
よるの中天を滑り墜ち 転げおち

あの暑く 懶惰な昼の眠りのただなかへ
はやく
一刻も はやく と 凝集する

透明な水塊は すでに
褐色の 棘ある意思をもち 水に浅く
みずに深く ゆらぎ

伸ばされた指先から つと
優しい贈り物のように伝えられた 激しく痛むこころは
それでも

漲る
(みなぎ)る光のしたの 昏いやみの奥をまさぐるように
求めるのだ

はるかな海のふかみへと





  夏の時計

すぐ目の前の未来を指差し 摘み取り
ひかる 先端

そして
声も立てず 立ち去ることもなく その位置で
果てしなく 無効になり続ける 私の未来

深く明けかけた 朝の光のなか
時計の文字盤には 忘れ去られた 悲しみのような やわらかな
記憶ばかりが しみを 残す

うすい焦げ跡のように

― 私の知らないどこかで 声が響いている
  弟はどこへ 行ったのだろう 母があんなに探しているのに

白い文字盤は ますます白く 太陽を反射し

― 無花果の花がひらく
  深く埋もれた あおい実の中で

はやい夏のひかりは 無効になった時間の 空白を
あるく

長い脚を伸ばし 足早に





  内側へ

真っ直ぐに歩いていたいのに いつも少し曲がってしまう

ひだりへと
いつも左へと 少し曲がって

まがって

空はななめにかかる 太陽は
右側の耳で受ける

ひだりへ曲がった先でまた 左へまがる
すこし

ここではうすい光も 曲がる
引力を持つ闇の方向へ

 頭をひざにつけ まるく まるまって眠るとなつかしい寝床
 の匂いがする 少しの脂と汗と埃の雑じった 昨日の疲労の
 
 今朝の風で 柔らかな芽は傷んでしまった そらではまだ雲
 がうねっている 風にゆれ ふり つもり つみ重なる葉の
 奥に 生まれる 熱を

ひと息の休息をもとめ
目を閉じ 耳をふさぎ 背骨を曲げ

ねむる

薄明の
昨日の夜の 内側へ向けて

   

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