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         Collection詩集 Ⅰ


大野直子
大野直子


















































































詩集 
化け野

大野直子
澪標 2011年10
第22回日本詩人クラブ新人賞


ある民族は死を祝福するそうです。寂しさとは豊かさでもあるのでしょう。醜は
美であったり、非現実のなかに真実や人間味がひそんでいたり、淡々としたものに
こそ余情があったり……。この世は不可思議で魅力的なことだらけです。
(あとがきより)




  らんちゅう

透明なゼリーで固められたらんちゅう
自慢の尾びれがそよがない
そんなことでうでもいいわよ って
ぎょろ目でうそぶいているけれど
金襴緞子
(きんらんどんす)のうろこはぬるい雨を待っている
眠りがほどけるときを待っている
死者もつられて芽吹く三月
ゲリラの月は行ったよ
運命を操作されたソメイヨシノが枝をしなわせると
同類の悲しみがあんたの脳を覚醒させる

そうしたら
熟んだ頭ででんぐり返しをするんでしょう
かなあみも破ってお腹でぐりぐり進むんでしょう
こんどは
あんたが閉じ込めるんでしょう




  弔いの木

とめどなく降らせた
最後の一葉まで
木漏れ日のザワッとした感触まで
しかし無になったときからがほんとうの降りのはじまりだった
真っ裸のカツラの木が降らせつづけたものは
吐息
生への執着のような ねっとりとした甘い吐息
いや それはたんに
腋臭
(わきが)のようなものだったかもしれない
愚痴のようなものだったかもしれない
たしかなことは なにかを放出しきるということ
弔いだった

(母さんは気配というかたちで、ときどき立ち現れた。抱きしめたときの耳の
 へりの冷たさだったり、補聴器のピーという小さな雑音になったりしながら。
 そしてとうとうわたしのなかに住みついた……

雲の飽和
雨は落ち葉の香りを狂おしいほど濃くした
傘を差して黄色い公園に立つと
焦げたカラメルの匂いが
足裏からからだじゅうの毛穴という毛穴
髪の毛や爪にも染み込んできた
しまいには細胞壁を破って分子のなかにまでまんべんなく降り注いだ
樹霊がわたしのからだに充満して
気球みたいに浮きあがりそうだった
地の底ではまだ 弔いが続いているのだな

(半年たった頃、母さんは突然わたしの口から出てきた。また髪を染めてほし
 いと言う。旅立ちにはみだしなみが必要なのだと。しょうがないので二種類
 の染め粉を混ぜ合わせる。ツンとなる。目尻がうるむ……

町の高台に立ち
黒雲を呼ぶ
カツラの木の狂気を鎮められるのは
雪しかない
早くハレーションを起こすぐらい真っ白になればいい
公園も
髪も
思い出も

(カツラの木がナイフのような萌芽を芽吹かせるとき、母さん、あなたはあな
 たに殺される。わたしは弔いの果ての死と立ちあう……





  サイボーグ

 無限にひらく扉にいらだっている。戸口は、立ち尽くすためにあるというの
に、見晴るかすためにあるというのに、その向こう、その向こうとひらけてい
って、いったいなにがあるというのですか。
 どんな菌も退治する抗生物質。のどにあけられた直径一センチほどの穴に血
も流れずに刺さる管。人工呼吸器の規則正しすぎる息。防弾チョッキを着たよ
うにふくらむ胸。父さん、これじゃあまるでヒーロー戦士じゃありませんか。
カッコよすぎるじゃありませんか。ほんとうはもう、スイッチも、点滅するラ
ンプも、警告音も、うんざりなんでしょう。欲しいのは、雨に打たれてヨレヨ
レになってしまった芙蓉の花びらの、甘美でしずかなむくろなんでしょう。
 最後に、頭皮の臭いと陰部の臭いを父娘の秘め事のように鼻孔に刻んで、扉
を開けます。その向こうに広がっているのは、脱色しきった葦原。電源を落と
すのにふさわしい、カラリとした化け野です。


   
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