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        Collection詩集 Ⅰ


清野裕子
清野裕子


















































































詩集 
緩楽章

清野裕子
ジャンクション・ハーベスト 2012年3

 ぼうぼうと続く草原
 私も小さな黒い点になって
 歩き続ける
   (「歩く」より)



  

すいぶん長いこと歩いてきた。踏みしめる土の感触が次第に変
わり 小高い丘に出た。ふりかえれば 来た道は森に吸い込ま
れている。黒々と大きな森。私はあの森の木々を一本ずつ 思
い出すことができる。

ひとつとして同じかたちはなかった。曲がり たわみ ひょろ
りと細くなったもの。巻きつかれた植物に胴を締め上げられ
それでも葉を青く繁らせていたもの。巻きついたほうも 幹に
みどりのさざなみを立て ふたりでみごとに一本の木になりき
っていた。

ななめに差し込む光に向かって芽吹いていた小さな木。頭上を
覆う大きな木のすき間を突いて 伸びようとしていた。太い根
を張り 枝をからませながら昇りくねっていく大きな木。はる
か上のほうで 空をさえぎっていた。

後悔も ひとつとして同じかたちがない。曲がり たわみ 様
子を変えながら 生きのびてしまう。いつの間にか芽を出した
小さなどんぐりのように 不意に現れる。鳥につつかれ 雨に
流され 種子のまま終わったものたちでぬかるんだ土のように
いつまでも沈んでいる。

けれど どんなものにも光はあたるのだ。翳っていた陽が突然
射すと 枝のかたち葉のかさなりが輝いて 光のレース模様を
つくる。小さなゆがんだものたち 思わぬ方向に伸びてしまっ
たものたち 曲がりくねった一本一本を 光の中でいとおしむ
こともできる。

離れて見ると 風にゆれて鳴っている木々の集まり。陽射しの
かげんで 微妙な色あいにうねる。みどり と名付けるには深
すぎ くろ と呼ぶのには明るすぎる そこにしかない色。

さまざまなものを抱えてやっとなれるものがある。森 という
ひとつのかたちに。





  言葉でなく

 そっと胸の前で
 手で何かを作ってみてください
 丸いものなんか いいですね
 それをゆっくり 差し出してください
 これは私の気持ちです
 どうぞ受け取ってください

先生はそう言うと
手の上に乗せた何かを静かに差し出した
受け取る仕草をすると
ふんわり風が吹いたような気がした

 さあ 今度はあなたが
 私に差し出してください
 あなたの中の何か
 言葉にならない
 感じ
 のようなものを

何を差し出したらいいのだろう
あたたかいもの
やさしいもの
ちいさな哀しみ とまどい
どうしたらいいか
言葉で考えようとしている

そうして その日の講義は終わった

本当は よくわからなかった
けれど
風が吹いたような気がしたあの一瞬
私は先生から
たしかに何かを受け取った


   



病室で父は眠っていた

顔色を観察する
うっすら目をあけた父は
手を差し出してきた

どこか痛いところはない? と訊くと
手を横に振る
今日は暑いね と話しかけると
親指とひとさし指で丸を作る
この仕草だけが 父の言葉のすべてだ

あとは
じっと顔を見つめるしか することがない
眉毛が長く伸びている
目のふちが赤く切れている
歯のない口を大きくあけている
こんなにまじまじと父の顔を見たことは
なかった

父も 私を見ている
何か言いたい様子でもない
ただ 見ている
そんな時間が過ぎて

病院の階段を降りながら
いつかこんな日があったような気がする
私は生まれたばかりで
見降ろしているのが父だった
じっと見ること
それがすべてだった





  晩秋

ながい階段を登りきると
ふいに六地蔵があらわれた
誰が乗せたのか
手編みの赤い帽子が
森を背に華やいでいる

古い本堂の塗りのはがれた太い柱
千社札に彩られた扉の奥に
如意輪観世音

なんでも叶えてくれるという観音さまに
手を合わせる

(きのう
 今年最初の喪中葉書を受け取った)

本堂の階段から眺めると
谷のむこうには
夕焼け空に黒いシルエットを刻む山々

さっきまで西日がまぶしかったのに
こんなにも急に翳ってしまう
晩秋の日暮れ
六地蔵の赤い帽子も
いつのまにか闇にとけて

冷気に背中を押され
いそいで駅に下った
ちいさな灯りのともった待合室で
手袋をさがしながら
残された時間のことを考えていた

       
 *秩父三十番札所・法雲寺

   

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