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       Collection詩集 Ⅰ  


大家正志


















































































詩集 
翻訳

大家正志
ふたば工房 2013年5
 

  どこでも
  いつでも
  あのひとは
  淡々と生きてきたような気がする
  淡々と生きていることがあのひとの職業であるかのように
    (「春になると」より)


 

                             水槽に魚

   いままではなかったところに水槽がおかれ
    姿の美しいちいさな魚たちが泳いでいた

男の目のなかにも美しい魚たちが泳いでいて
魚たちに見つめられながら生きていると
ちょっと恥ずかしくて
もう見ないでくれ とか
もっと見てくれ とか
ドキマギするときがあったりするが
そんなときはかならず
おとこの心を見透かしたかのように
魚たちは尾ひれをクッと翻して
おとこ以外のところへ行きたそうに背びれに力をいれるが
おとこの目蓋の幕を行き来するだけで
体はこきざみに震えている

       国立高知病院の一階待合室
   いままではなかったところに水槽がおかれ
    姿の美しいちいさな魚たちが泳いでいた

おとこの臓腑に泳いでいる魚はいない
ときどき
なぜかと問われることがあるが
明確な答がだせなくて
おとこは
魚が泳いでいないことの不明を恥じることもあり
一日
脳の右45度あたりがむずがゆいが
致命傷的ではない
その致命傷的でないことが
臓腑で魚を飼わない理由かもしれないが
魚はなぜ飼われるのだろう

       国立高知病院の一階待合室
      壁だったところをくり抜いて
   いままではなかったところに水槽がおかれ
    姿の美しいちいさな魚たちが泳いでいた

魚と目が合ったことはないが
魚はおとこを他者として泳いでるだろうか
それとも
水槽のなかからは
おとこのいる世界が見えなくて
魚は水槽の孤独を生きているかもしれない
いや
水槽のなかの水の孤独を生きているのかもしれない
そんなことを考えて病院の待合室で座っている自分が
ふと嫌いになったりするおとこだが

      事件は
    静かにおこる

診察をいやがるこどもがツイと逃げ
追いかける母親の足がツンとくねった
その拍子に
コンセントからプラグがはずれ
           水槽がブラックホールに落ち込み
                     魚が消えた





                       覆された悪意のような朝

(戸口にて)
死ね

だれかが
(さゝやく)

どこかの浜辺では
ドルフィンが
うちあげられている 朝のニュース
入り江はあかい要素で日の出が揺らいでいる おはようニッポン
どこだろうと詮索するまえに
どのドルフィンだろうと
ぼくはおもってみるのだが

うちあけるべきこともない朝をめざめて
うちあけるべきこともない食卓をめぐるそら言にこころをとられ
スープのひと匙をもこぼしてしまう朝ではあるが
すものの藪から姿をみせた蛇が あっ と ひと呑みしたヒバリ

羽が
窓際の腐食図よりも美しく食卓をいろどっている とどこか安心する朝もある
がうちあけるべきこともない朝のつぎにうちあけるべきこともない昼がまって
いてそのさきにはうちあけるべきこともない夜がひかえている かたるべきこ
とかたりすぎたことかたりきれないことかたらなくてもいいことを書きつくし
たあとですべて消去していちぎょうにもみたない手紙をむすめにおくる朝

朝とともに生成しうる言葉およそ語り手の主観の介入を拒んで朝のためにだけ
たたずむ言葉生まれたままの鮮度をたもっている言葉の生成をゆるすことで朝
はつねに朝らしく再生したかもしれないという陳腐化していく言語の先にしか
朝のめざめがないがそれはしごくまっとうな在りかたで従来の朝が排除してき
たものはすでにしることができない朝をめざめているにすぎない
だから
ドルフィンが一匹うちあげられたと聞いただけで
どぎまぎしてしまったが
どのドルフィンだろう

戸口にて
死ね

だれかが
さゝやいている
朝に
うちあけるべきことのひとつだになく





                           青空

死ぬときは
青空を見ながら死ぬ気がして
青空を見ている
五月の青い空
雲ひとつない空
屈伸する乾度
アインシュタインの青い点滴
海底のような青い不整脈
だまって死ぬひともいれば
うつつをぬかしながら未練借財阿鼻雑言をとどろかせて死ぬひともいる
いまのところは
青空を見ながら
ことん
と死にたいのだが
そううまくいくかどうか
生まれて生きて老いて死ぬ
そんな単純な作法が繰り返されて青空がある

青空を追って自転車をこぐ
今日も一日なにもすることがないから
自転車をこぐ
五月は青空が美しいからそれだけで自転車をこげる
青空の数だけ自転車をこげる
青空はなにもすることのない少年の額に汗をにじませて
自転車をこぐだけでいいことを教えてくれるが少年はそれに気づかない
気づかなくて ふと 足にかかる負荷に孤独を感じるが
青空はどこまでも青空である
少年はどこまでも少年であるかというと
そうでもなく
少年は青空のこちらがわで少年でいられない時をむかえるのだが
それでも脚力だけは少年のままで
額の汗も少年のままだ
ハナミズキの下を白い首筋を見せて少年はすっと年老いた

偽名をどれほど持っているのか数えたことはない
少女の日々はドアのこちら側とむこう側を行き来することでついやされている
ドアの閉まる音が背中で聞こえたとき
青空に呼びとめられた気がするときがあるが
それが自分なのかどうかとっさにはわからなくて
もしかしたら実名などあったのかどうかさえわからなくて
どうでもいいやと青空を見ると
妙にかなしくなってくる
肉体を嘔吐する
言葉を吐瀉する
文節されない身体で生きていきたい
とおもうのだが
それがかなうことはない
青空のしたでかなうことはない
だからといって
ドアで区切られた世界を行き来する
のは(身体以外の臓器のすべて)が悲鳴をあげている
偽名のままドアを閉めた背中が
かぼそく
老いていくのを
その少女はいつかしることになるだろうか
青空の高みで雷鳴がとどいている気がする
それは
空耳

青空のもと
ふと死ねる
のはいい作法だが
そんなにうまく
青空がやってきてくれるだろうか
青空を屁ともおもわないような節くれだった生きかたでここまできた
猥雑でも清潔でもなかったぬれた生を
おりたたんで(おりたたんでおりたたんで)
走査顕微鏡でもみえないくらいにはずれて生きてきた
最後の最後
青空を見ながら死にたいなんて
そんなうまい話が訪れてほしいと
いやいや
たとえ
青空がやってきても
それが青空とわかるだろうか

   

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