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Collection詩集 Ⅰ         

野田かおり


















































































詩集 
宇宙(そら)の箱

野田かおり
澪標 20163

わたくしたちの電子のこえは
椅子の上で
しずかに思索している
 (「椅子」より




  琥珀の息

水槽に
夕ぐれがくるたび
立ち止まらなければならない
大きな魚は小さな魚を執拗に追い
小さな魚が近づくとそれは繰り返され
立ち止まらなければならない
(もう許してやってはどうか)
影だけの魚たちは琥珀の息を吐き
眠らない
まま泳ぐ

大きな魚は
いつかはどこかへ追いやられ
安寧はもたらされるだろうか
と水槽の前を過ぎれば
その次に大きな魚が小さな魚をまた追っている
夕ぐれがくるたび
影を濃くして
立ち止まらなけらなければならない

誰かの名前を呼びたくて貧血を起こしたような空
魚たちの影はすばやく水を掻き
息が
なすすべもなく
吐き出される
何を追っているのか
やがて
一匹の魚もいなくなり
そこには
琥珀の
息ばかり




  みずうみ

みずうみに
あなたは泳いで
ゆうらりと影
息をするたびに
まあるい光が浮かびあがってゆく

白樺の林をぬけて
鹿の眼が教えてくれる
雪の朝のあしあと
花びらのピアス
かげろうの羽
白菊
みずうみに
生活からこぼれおちるものを一艘のボートに浮かべる
暗闇のなかで
月の光だけを頼りに今夜もみずうみにいる

ぽっかりと残っている丈の短い草を踏み
ガラス片を拾う
つめたい足裏を
包んでくれた手のひらは置き去りにした
マグカップのお湯が震える
「こわかったね」
傾いた視界のなかで
光をつかもうとして伸ばされた腕

みずうみの
眠らない魚たちのために
今日の出来事をお話してあげる
物語になりきれない切れっ端を
投げて
魚たちをなぐさめるのだ
夕陽をぐるっと
バターナイフでえぐるような痛みが
帰り道にあったこと
深夜めざめてみると
みどりいろのカーテンの隙間から
もう逢えなくなった人たちの
住んでいる街の灯りが見えたこと
「大人になるのって、こわいね」
って言いながら
一枚の毛布に
身を寄せ合い
みずうみのボートの上に眼を閉じる

わたくしたちに繋がる血の流れ
ちちはは
あにあね
おとうとやいもうと
累々と物語のなかで生きている
この世に
生まれ出る時
ほの暗い水の底から
ひとすじの
光をたぐり寄せて
わたしたちはやって来たのだ
光と影がくるりくるりと
むつみあいながら
言葉になって
記憶になって
物語になる

あなたは泳いで
ゆうらりと影
息をするたびに
まあるい光が浮かびあがってゆく




  うさぎ雲

冬の教室に 白と茶色と灰色の うさぎが
五、六羽連れられて 図工の時間は始まる
兆しはなく 昨日ノートに落書きされた子
は 黒いうさぎを描いて 銀の針になって
線を引く

白と茶色と灰色の うさぎの耳は爛れて
誰が言ったのかわからない (ぜつぼう)
という言葉がこの冬は流行する教室 髪を
切ることに決めた子が 一羽に近づいて
首筋のあたりを撫でると ぴくと耳が動く

生きているのに動かない 白と茶色と灰色 
の目に遭い 子どもたちは老いてゆく 誰
も話さない 冬の窓から陽が射して 眠そ
うなうさぎは すでに化石

殺めてはいけないと知りながら 腕の中に
あたたかなものを抱きたがり その日 一

羽のうさぎが 息をせず 最初からいない
ことにして とあの子にだけ見えている黒
いうさぎは 教室の窓から 夕空に 跳ね
て うさぎ雲になった


   

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