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     Collection詩集 Ⅰ


石村勇二


















































































詩集 
ガラスの部屋

石村勇二
私家版 2019年12

一挙手一投足だけでなく
こころで思ったことまでも
すべて筒抜けなっていた
わがガラスの部屋よ
   (「こころの病と言われているが」より)




  降りつもる時間の中で

時間がしんしんと降りつもっている
男は部屋の中心に座っている
窓のカーテンをすべて閉ざして外の風景を見ている
はりえんじゅの樹に一羽の黒いカラスが止まっていることも
その根元で三匹の白い犬が寝そべっていることも
陸橋の上から五人の女が赤い釣り糸をたれていることも
坂道の上を無人の乳母車が音もなく通り過ぎたことも
すべて手にとるように見ることができる
男にとって窓のカーテンはガラスでできている
部屋の壁もガラスでできている
すべてのカーテンは閉ざされているが
男は外の風景をみることができる
一羽の黒いカラスは一千羽の黒いカラスに
三匹の白い犬は三千三百三十三匹の白い犬に
五人の女は五億人の女に見える日もある
男は一羽の黒いカラスを見るが
見ることはまた見られることでもある
男は三匹の白い犬を見るが

見ることはまた見られることでもある
男は赤い釣り糸をたれている五人の女をみるが
見ることはまた見られることでもある
男の行動はつぶさに観察される
一羽の黒いカラスは一羽の黒いカラスの眼で
三匹の白い犬は三匹の白い犬の眼で
赤い釣り糸をたれている五人の女は
赤い釣り糸をたれている五人の女の眼で男を見る
男はカラスや犬や女たちの言葉を聞くことができる
カラスや犬や女たちも男の言葉を聞くことができる
男はあいかわらず部屋の中心に座っているが
閉ざされたカーテンや壁の内部から
外との無音の言葉の対話をすることができる
時間がしんしんと降り積もる音だけが男の部屋に反響し
男はあいかわらず部屋の中心に座っている




  数のある風景

ひとの数だけのいい詩があり
ひとの数だけの神や仏がある
信者の数の最も多い宗教が
一番正しいと言いきれないように
少数者だから間違っているとも
神や仏をもたないから不遜だとも
言いきれない
多くの弟子や信奉者をかかえる精神科医は
権威者と言えても正しいとは言えない
ひとつのことで満たされるなら
この地球には
一本の樹しか生えなかっただろう
ましてや
何千種類もの
バラの花を咲かせることは
なかっただろう
富めるひとにも貧しきひとにも
ひとしく雨は降る
やさしいひとにも凶暴なひとにも
ひとしく太陽は照る
つつましいひとにも放逸なひとにも
ひとしく災難は降りかかる
頭脳明晰なひとにも
感受性のすぐれたひとにも
ひとしく精神のやまいはおとずれる
精神分裂病 100人に1
躁うつ病 1000人に7
百年来変わらぬ全世界の統計的一致は
進化した文明のせいとは言いきれない
脳のなかで明らかな異変が起きている
誰がなってもおかしくない
確率でしかないようなやまい
貧乏クジを引いてしまったか
はたまた新たな習慣を生みだすための
クリエイティブの種子であるか



  ネムの木の下で

拾われっ子や 貰われっ子や
罪の意識のない学童たちがはやしたてる
あれ小学校の二年生であったか三年生であったか
わたしは今の母親が本当の母親でないことを肌で知っていた
わたしは校庭の片隅のネムの木の下にひとり立ちつくす
大木に見えたのはわたしの背がまだ幼かったせいかもしれない

おかあさん おかあさん おかあさん
顔も姿も名前も知らないから
おかあさん おかあさん おかあさんと
こころのなかで呼んでみる
やわらかでほんのりとしたピンクのネムの花に包まれていると
おかあさんがやさしく見守ってくれているようで
涙を流さずにすむ

子供ごころに泣くことだけはやめようと思った
見ぬ母はわたしのなかでネムの花のように美しくなっていく
夢見ごごちで母の乳房を無心に吸っていた記憶にない記憶
そのとき母はギュッとわたしを抱きしめてくれたに違いない

私生児でも子供と一緒に暮らしている母もいる
母をうらめしく思う気持ちと母をしたう気持ちが揺れ動く
おかあさん 本当はわたしを好きで好きでたまらなかったんだよね
おかあさん 愛する男の子供だからやはり生みたかったんだよね
おかあさん 本当はわたしと一緒に暮らしたかったんだよね

拾われっ子 貰われっ子とはやしたてられても
幼かったわたしはそれが差別や偏見とは思わなかった
父も母も定かではなく血の係累を断ち切られたわたし
家族も民族も信じられなかったが
はやしたてる人たちには負けまいと思った

母には母の事情 父には父の事情があったのだろう
五十八歳の誕生日を迎えた今は
母も父も許せるような気がする
母がいてくれたから父がいてくれたから
わたしは生まれ今ここにいるのだと実感できる

   

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