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Collection詩集 Ⅰ         


岩木誠一郎




















































詩集 
余白の夜

岩木誠一郎
思潮社 2018
56回歴程賞

遠ざかるバスの座席には
わたしによく似た影がうずくまり
運ばれてゆくことの
痛みに耳をすませているのだろう
  (「飛来するもの」より)


  夜のほとりで

のどの渇きで目覚めて
台所に向かう
いやな夢を思い出したりしないように
そっと足をはこびながら
ひんやりした空気に
触れる頬のほてりが
しずまるまでの時間を歩いてゆく

ずいぶん遠くまで
来てしまったらしい
冷蔵庫の扉には
たくさんのメモが貼られていて
読みにくい文字をたどるたび
失われたもののことが
ひとつずつよみがえる

カーテンのすきまからのぞく空を
雲の影が流れている
視えない風が
わたしのなかを通りぬけて
小さな紙片を翻らせるとき
夜のほとりで
ようやく一杯の水にたどり着く





  遅刻

窓のむこうに広がる夜の街を
むすうのひかりが流れてゆく
まだ帰り着いていないものたちが
こんなにもあふれているから
幻になることもできないまま
地平線のあたりで消え尽きる

ガラスに触れる指さきの
つめたさをつたう記憶には
ひとすじの痛みがともなうだろう
たとえ通り過ぎる影のかたちに
隠されたままの風景が
しずかに発熱しつづけているとしても

壁にかけられた時計の針が
ひときわ大きな音をたてている
一年前も
千年前も
わたしはわたしの居る場所に
少しだけ遅刻している




  灯台まで

車を出すとすぐに
フジオカさんは話しはじめた
ちょっとしたまちの噂や
だれそれの消息について
それから
通いなれたパン屋も電気屋も
店を閉めてしまったことなど
鉛色の雲が垂れこめる空の下
海べりのちいさな町は
しだいに記憶のなかからよみがえる

子どもがふたり
波打ち際で何かを拾っている
流れ着いたものがあり
流れ去ったものがある
夕暮れが近づいて
道のまんなかの白線だけが
浮かびあがって見えてくる
灯台まで
わたしは帰って来たのではなく
訪れるひとになっている

車を降りると
夕闇が濃くなっている
ひとすじのひかりがさぐる
遠い日々では
波の音も
海鳥の声も
変わりないものと思っていたが

背後でフジオカさんが呼んでいる
振り向いても
顔を見分けることができない


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