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Collection詩集 Ⅰ         


猪谷美知子




















































詩集 
蝙蝠が歯を出して嗤っていた

猪谷美知子
澪標 20214

「冬には野生の獣をいただきます
 猟が解禁になりますので
 春には家畜を
 そうですね ウサギとか」 
            (「春」より)



  
あ・うん

狛犬は
「あ」と言わされたまま
もう幾歳月

氏子のじいさま ばあさま
息子 娘 孫たち
と付き合ってきた
いいや
もっともっと前から
土台も身体もがたがた

この「あ」は何だろう
「うん」に近づいて
口づけをしてこそ
呼吸も合うというもの

そんなに
固く口を閉じては
心のなかも覗けないし
話もできない
さりとて
「あ」と言い続けると
疲れる
たまには横広がりの
「い」と言ってみたい

石で作られた哀しさ
欠けていくのは
鼻柱くらい
「あ」も「い」も
思いのままにならない
それに
「うん」までのこの距離
五十音の最初と最後の




  女も器も

そう あの時
出来損ないの
プラスチックの椀を
みんなで集めた

ままごとの大切な主役
町工場のおじさんの
機械油まみれのズボンの裾が
目と鼻の先で
行き来するところで

あれから
数え切れないほど
器を割ってきた
割られたものたちは
静かに消えていった
時には
温かい食べ物を盛られたまま

故意か
悪意か
そんな時もあった
生きていくのは

私は平凡な人生のはずだった

それがどうした それで
と割れた器の声

ましかして
遺跡の欠けた器と
獣の皮を
身にまとった女たちは
今も
繋がったり 離れたり
底知れぬ深い地中で

女も器も欠損を抱えたまま




  天秤棒

この頃傾いできた気がする
菅笠帽子ノンラーを被ったホアさんは言う
天秤棒を担ぐのはなかなか大変で
簡単な日もあれば
苦労する日も

後ろの籠は見える
がらくたと少しばかりの自慢のもの
前は見えない
けったいな天秤棒
文句を言うより歩いて運べと
どこからか命令調の声
女神の日
鬼の日
フフフの声が聞こえることも
鼻息荒く歯ぎしりが恐ろしい日も

蝙蝠が前籠を見てみるかと声をかけてくる
白雪姫の魔女が鉤鼻をびくつかせ
美味しそうなりんごが乗ってるよちょっとごらんよ

そんなこんながあったが
今日は特に前が軽い
昨夜は蝙蝠が歯を出して嗤っていた


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