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Collection詩集 U



杉本徹
杉本徹3





























































































































詩集 
ルウ、ルウ

杉本 徹
思潮社 20143月 

どこへ――それは問いの匿名とともに、冷ややかな
棘と時の輪郭となり
そして空の先端を誓うもののように、身じろぎもせず日を終える
(「橇と籠」より)



  

  鐘

曇り空のクレマチスに
歌のうしろすがたを問う、と
あらゆる雑踏のどこかで人影がほそい
冬の、砂にまみれた膝も携帯も
心放つための野を
日々褪せてゆく野の色を
思いながら、道々の窓あかりに
……待ち望んでいた(ひたすら)
鳥の生涯に「なぜ」の音符がいくつ
灯されたとしても
聞こえない
ただ指の隙から不意打ちの軌跡が
陽の掟となってゆるくひとすじ
つたい落ちると
それが十二月の鐘の色――
バスのタラップを降りる音にも
降り返ってしまう
そう言って並木の葉が招いた
(……地球の夜を、許しなさい)
交錯する靴音は彗星をあこがれて
こうして、こんなに
空を人の胸のように抉り、消え去った





  舟の言葉

……老いて鉄錆びた舟の言葉で、団地の一棟は控えめに風を走らせていた。後方の銀杏の鮮烈
な黄が、ある瞬間、やけに唐突に空を裂いた。地に墜ちれば、表情を消す。吸い殻と独楽とと
もに、きのうの手つきで、(砕けながら)単調に掃き寄せられて……、驚くことはないのだろう、
時の間合いを測ろうとするたび、そうだった月島に向かう道はいつもここだけ、と気づく。


……隅田川が、十重二重にも水の、浪間の隘路を語ろうとした。あらわれては消える、道す
がら、光る砂になって、わたしは時間の空き地(アコーディオン?)に、寄り添ってみようと
したのか。神楽坂の駅から、繊維をつたうようにここまで来ると、魂の輪郭もおずおずと、此
岸のあかりに滲みはじめた。……わたしは、わくらばの、漕ぎ手? けれど堤防や草木には、
すぅーっと水脈の息がしらじらと残って跡を追えない。わずかな刻、路面まで、まぶしい。宇宙
にも、漏電という現象があるのだろうか――そう心に響かせ(……耳をすまして)、問うていた。


ふと――(その音!)見知らぬ暮しを、建築に匿された地平線が、細い音のように炎えながら
支えている。裏道の、光の籠る呼び鈴と、ひとつふたつ擦れ違うとき、ごくちいさな躊躇いの
(心の)静脈が騒ぐ。キョウノ音ニ眼ヲ伏セタ、……ソシテ、ワタシ、アス、……救ケラレタ。


ごくちいさな躊躇いの、心の、静脈が騒ぐ。


(落ち穂、とささやいて携帯をひろいあげるると、かすかに打ち寄せる砂の声がした、高架下、
……ルツ、ルツ、聞コエマスカ?


(護岸工事の現場にだれか、金網の籠を放置した、きのう、……行きずりの店のレジスターが、
啼いたのも、


螺子を巻くほど、の、時間と風の滞留が雑踏のあちこちで、ふっと行く先を晦ます。光る名、
TSUTAYA
? ……大桟橋をめぐる風。風が去ると、信号が変わる、と教えられた。


螺子を巻くほど、の、……行く先は、たとえば極地の空を映しては痩せ細る岸の鉄柵に、ふれ
たとき、指が知る。うつむきがちに歩くと、いつか、抉られてあざやかな側溝の軌跡が迫り、
もう何も、追うこともできず。


二歩三歩、……駐めた車のボンネットを、ゆるく滑り落ちる、風景という薄い薄い布! あの
鳥ならば、針の光となって迷いこむ――遠い新宿の、凍土のかけらを嘴
(くち)に。


(鳥ならば、針の光となって、


わたしは、わくらばの、漕ぎ手?


版木、葉書、どちらも反転して、のちの日に届くだろう――コインの手のひらの、裏から表へ、
気づかれず、渡るだろう。……その手、漕ぎ手? いま自動改札にふれた手は漣を掻くような仕
草だから、つぎつぎと、つかのまの対岸を、急ぎ足にまぎれて胸中に仕舞う。落し物、光る名。



……名が、さらわれるというのは、あの夕闇に浮き立つネオンやLEDの、無数の盛衰を背に、
見失うということ。振り返るたび、点滅の間隔を、わたしは、ああひとつの丘陵としてあこが
れたので、たとえば音のない草いきれ、転々とする後ろ姿の獣狩り、それら瞬間の空洞の、蛻
(もぬ)
けの殻の消息を、……秒読みをまねながら、舌先に幾度も唱えようとした。


途絶えてもいいから島流しの、ビル影の、砕かれてはあらわれる隅田川の、川面に背を煽られ
たい。すると切符を放るようにちいさな、紙屑も舞う。


(はるかに首都高に貝殻を棄てた、勤め帰りの測量士らしき光――、


(やがて消滅するセダンのあとを、追って、数歩だけ海原を駈けた、





  ルウ、ルウ

わたしは走らない、ただ光を跳ぼうとした。非常階段の錆は展翅されたまま、
雑居ビル群の谷の虚ろでしきりとざらついて、掻き消える、……鎖された暗い
窓が翻りたくて、鳴く、ルウ、ルウ、と。


                  千駄ヶ谷、神宮前、茅野。いっせいに
溶けあって漂流する色彩、何いろだろうわたしの、だれかの、後ろ姿の裏側で。
反転する路地の迷彩、千駄ヶ谷、神宮前、茅野、あれは、時間の沖。


                              ここで鸛を
飼おうとしていた。陽が翳るとギャラリー跡地は堡塁にみえ、季節はずれのハ
ルジオンに靴も濡れていた。かすか、風鈴が鳴る。奥まって曲折する隣家の軒
は立ち位置により、思いがけず無限の、遠方の繁華な道までつづいている……
と、風鈴?


     いや、散乱した翼の音のごときもの。たとえば石榴の実のつややか
さのうちに数年前、それを封じたとして、いまマンションとの境の壁面に、投
げて割れたか――数年前の、華奢な膝に散る。


                   そして踵で、ぬるい打鍵を試した。
陽だまりのコンクリートを、ひとり迷いながら降りてみた――聖母子像の構図
を、雑草が靡き、クロネコヤマトが遠ざかる。やがて、この地表だけ暮れる。
ぽっと、鮮烈ににじむ信号機を帆柱のように幾人か見上げるころ、風の弧に、
わたしは薄青い、ほそい歌を吊る。


わたしは薄青い、ほそい歌を吊る。


きららかな波頭であってください。まだ口をつけないコップの水が、この時刻
の都市の断面にどれほどの数、あらわれて消えた(ことでしょう)か。


そのように柔順に言葉を捧げて、暗がりを振り返った。ヒルベルト…、とはじ
まる読みづらく薄ぼけた住人の名を、舫綱の名、ハッチの名、螺子の名、と順
に当てはめて歩を進めれば、長い廊下に身も傾く。手すりは、満潮時のにぶい
光をたたえた。



     六月の奥に恒星のえがくもっとも深い影は(深い海は)、つつまし
い親書とも地図とも読める、……それはわたしの背景のタチアオイを点でつな
いだはて、あれら首都高とか文庫のページ裏でも、みえない鼓動を重ねたのだ。
そこを右折すれば中二階、声のない挨拶すら交わされて。


                         午後遅いヘッドライト
の照らすマネキン、ひかえめな人と人。毒薬について語ろうか、それとも裾を
直す手つきに導かれるように、異星の、衰亡と沈黙を見守ろうか。


 *


床にはずむワンコインよワンコインよゆるやかに、逆光の脚線にそって流れ、
横たわれ。そしてキリエ、エレイソン、ダンボール、階段の渦、と単調なまま
めくるめく音と事物の終着点まで、ふたたびの行路を思いみよ。


地方銀行の漆喰の壁。さわぐ糸杉、の横貌。


明治通り、屋上の輪郭、寒暖計、マンホールの漣、……先の知れない横断歩道
を渡っていった。ガードレール、古着屋、裁縫機械、西にひらく本の表紙。


テナント募集中。かすか、風鈴が鳴る。
あちら向きに如雨露で水をやるシルエットの女性は、雑踏の編み目から洩れだ
し、すこしずつ、舗石を車道まで黒くほそく濡らしていった。……夕闇、交番、
生命保険、海流、まぶしい。


外苑西通りに抜け、
奥に逸れると、人の気配のない築半世紀以上であろう都営の
集合住宅が、界隈一帯の木曜に立ちならんでいた
……いまは木曜ではない
いちめん露草の生い繁るばかりだった月曜――いまは月曜ではない
ぎいと軋んだ、古い郵便受けと
まだ真新しい赤い自転車、鬱蒼と花のない紫陽花
これらを
たしかに眼にしたのは
きっと未来の夕映えのなか


星? が墜ちるから。


手真似でファインダーを覗くと、すじ雲がそっと道ぞいに消えていった、あの
軽トラックを追って。競技場につづく空に向けて紙ヒコーキの飛んだ距離を、
ほらだれかが口笛で測る。


いつのまにか、……壁染みにまぎれていった路地の、準備中の店の、話し声、
ちいさな立て看、もうすっかり遠く。防火用水にうるむ光は、時間にさまよう。
いちまい、更地を舞う絵葉書のなかに、写っていた跪く少女。


更地を舞う絵葉書のなかに。風の弧に。


未来の夕映え、に。
わたしは薄青い、ほそい歌を吊る。


 

  
 −「舟の言葉」全文は詩集では他より小さな活字ですがここでは変えていませんー


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