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Collection詩集 U



杉本徹






























































































































詩集 
天体あるいは鐘坂

杉本 徹
思潮社 20199月 

夕刻に混みあう車輛の
座席で
両側からスマホにはさまれ窮屈に縮こまって本をひらくとき
せめてワタクシ、時間の片隅のにうかぶカモメであれと、ネガウノデス
     (「空中都市」より)




  

  木曜歌

携えたページを折れば、林がひろがる。冬枯れの、わくら葉の堆積にそそと沈
んでゆく風を、裏返す。その靴先のやわらかな感触が、遠ざかろうとする地球
の、弓なりの背中だった。あかるむ郊外の、ここを、踏み分けない。つめたい
陽の針を、文庫本の谷間に、落とした。


音だけのバイクの、去ってゆく、麗しい、軌跡が樹間でゆれている。もう、精
霊になってしまった。近づくテニスコートで、滑空するものの気配がかすかに
退いた。鳥の足あとの残る海岸線が、ここから数光年離れた町で、フィルムの
ようにながく伸びて横たわる。


くらい窓に階段が映る、人知れずわたくしはカウントしている、一段一段たど
る孤影となって。花も、モノクロームの来歴を語りはじめる。先日の雨に傘も
ささず廃屋の板の、木の、眼は、月の、面輪を、みつめていた。オモワ、ひと
葉を、つついて、キジバトが銀色に染まる。


すれちがうつま先が、行方不明になりたくて、自転車を漕いで北へ、ゆこうと
する。地平線という線の、空白を渡ろうとすると、少しずつ陽が翳る。鹿らし
きかたちにハンドルが照り映えた、瞬間を、届けて、風はわたくしの後ろにま
わる。逢引の言葉だ。


人知れずカウントしている。どこまでも散り敷いてゆく銀色の、ねむりが、て
のひらで裂けた、ら、時間の崖が匂う。





  シュターツカペレ

幾何学の花、とレオナルドの手稿に読んだように思うその半日後
横浜の港をくらく逸れる路地に積みあがった、飼葉と
再開発されては組み替わる無数のビルの形象とに、ひとつづきの歌の
きれぎれの痕跡を、聴いた――
歌唱は絶たれることで、線ではなく面となってその空虚をかがやかせる
古い運河が黒く光を散らしはじめる
秒針が舟の角度で横たわると、流れる夜はどの涯てへとむかうのか
……大型トラックの後ろかげや、信号の点滅の粉塵にまぎれて失せる歌の
その消尽の刹那だけがわずかに
くちずさむことのできる音階のなごり、なのか
「みなとみらいは、みなとでもみらいでも、ない」
「むしろ野毛の町で、なみなみと酌む熱燗の猪口に、火星がうかんだ」
こんな斉唱が薄れる駅頭のにぎわいも果てる
早咲きのラナンキュラスが喧騒に落ちて、踏まれ、事後の気配となる
なだらかに潰えよ、拍手とともに――
振り返ろうとすると半身が
深く深く無音の天球に引きこまれる気がして踏みとどまる口パクで
ステルラ・マラスと呼べば観覧車の地上の影が
海風にどっとあおられ、不意に廻る
……廻りはじめる
横浜の、二月
どこまでも廻転する地球時間の中心にもきっと帆柱があるんだ
冬のこの夜それが発する軋み、という痛みは人知れず背後でまたたいていて





  群青の

あくる日の彗星を追った、……深夜の渋谷の地下道は不意に、眼の前に放射状
にあらわれ、ひろがったのだ。その多方向の遠近を目測で確かめ、記憶する。
前日、喧騒を避けた小公園で裸木のひとつが、熟れきった西空に走る罅のよう
に、枝をひろげて聳えた――不意の地下は、あの形状そのもの、と知る。


ハセン(……破船?)、と鳴る枝々のいっせいのゆらぎを、わたくしは聴いて
いた。方位の裂け目に、孤独な樹影は身じろぎし、忍び入ろうとしていた。そ
れは航海の、ゆらぎ? 進水までの数秒、だろうか、わたくしがたたずんだの
は。


数秒、あかがねの残照に鈴を走らせて
すばやく巣へと羽ばたくものの気配、北青山の電線の光は
だれにも気づかれず
見知らぬ星座の空洞を、つないでいた


ベツヘレム、その子音も裂け目だった。混んだ夕刻のJRを降り、思わず振り
返る。つかのまの空から降るものたちよ、車窓を濡らせ。したたりも、裂け目
――窓の蒸気の曇りを斜めに割り、ひとつ、ふたつ、雨
滴の、……つらなり、
そこに射す晴れ間の、ピアニッシモの、


キオスクを過ぎ、サフランをひろう
……まばゆい高層階に、歩道橋の天使の
抜け殻がビニールシートとなって舞い、あがる


マンションを区劃する門灯の、暖色の、静かな時間をシャーレで受けるひと、
あなたに託そうとしたわたくしの、群青の、母語――仰いで、クダサイ、


透明な磔刑を、知ってる?
ただひとりの指の間に宇宙がしたたること、を


再生した廃盤から洩れる光のノイズも、確かな言葉だった。ウメモドキの赤い
実が、路地裏で、それを聴いていた。時間差ノ、電車ガ、宇宙ヲ、ハコブナラ、
ドア、アケテ、クダサイ、……赤い実が、聴イテ、イタ、赤、イ、イ、


……、そうだ暮れてゆく宮益坂の、……いま、囲うてのひらの
内側が、ほっと、あかるむ、


あかるむ
車列の点滅は
何の孵化のしるしだろう、何の――

薄い雲の移動してゆく先にも暮らしはあって
傾いたキャリーバッグから
雨滴や雹がこぼれる
なびくものを地図とした、……
風のなかにも暮らしはあって


遠望する、地平の涯てで
夕陽裏の道は金星の痕跡のように、細く光る――
数日前の雪だまりが歩ごとに角度を変え、くらく反射する
病院らしきあえかな白も
高台で
影をまといながら
時間に溶けてゆこうとする、……わたくしは時計をもたない
なぜなら
あらゆる風と景が時間、そのものだから
…………………………


ゆくあてと来しかたの
黄金比を
不意にあざやかに横断するヒコーキ雲よ
つねに、残像であれ
……残像であれ
群青の、母語の、はじまりと終わりを
そこでずっと無機質に結びつづけて、いておくれ


鐘坂、影坂、……いま急発進したバイクの後ろすがたはモノクロ、でも遠ざか
るにつれ順々に、色彩をまとってゆく。風のなかの茜色、あれはベイカリーに
灯ったあかり。涯てで、べつの天体がまたたく。


鐘坂、影坂、……附近、路地裏の映画館のスクリーンで、異邦の見知らぬ街が
点滅している。それも刻のふるえ――あたりは漣立つ。ゆるくさざめき枝分か
れする道もむこうの、時折の物陰で浮遊し、離陸する、の、か。軒先をこえ、
首都高をこえ、ひとの記憶すらこえて、


彗星となって、





  カンテラ

難船のなごりの木切れをひろい、石畳から高層階をみつめた。
六月のターミナルは、月蝕の匂いに満ちていた。
だからあれらせわしない靴音も不意に、樹間に迷いこむ。
こんな、都心のビル内部にあらわれる深い森は、
裏返された地球の理法なのだろうか――
わくら葉の湿った堆積や、しらじらとした小石の頬を踏み、
エレベーターの閉じつつある扉までの、
大気圏の沈黙に、沈黙で応える。
わたくしは、みえないカンテラをさがした。
灌木とガードレールに、二羽のスズメが飛来し、三羽が去った。
タクシーまで発車した。
見慣れないビルの階段に、アララト山の影がそっと忍び入り、
雑踏の、暗がりに耳を澄ますと海鳴りがきこえた。
干上がるまでの辛抱だと、なぜ思う。
サトゥルヌスも守衛となって、螺旋駐車場で傾いた。
わたくしはいつか、レンゲソウとなってねむる。
「きょうではないある日に、生きなさい。それよりも急ぎなさい」
このとき、鮮烈なまでの軌道で遠ざかっていった遊星の後ろすがたを、
わたくしは、はっきり記憶している。

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