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       Collection詩集 Ⅱ



中堂けいこ




















































































詩集 
ニューシーズンズ

中堂けいこ
思潮社 20179

つぎつぎに更地から
なにも身に付けない人がやってきて
かれらは足音をたてず宙をうくように折りたたまれ
しだいに曠野がそのまま湖になるその光景を
もう知っているのではないか (詩集扉より)
    

 

 

 とりのうた

いつのまにかみぞおちに
カナリアを飼っている
ときおり腹部が熱くなるのは
カナリアがうたいたがっているからだ
うたをわすれたわけではないので
わたしにしか聞こえない透明な声で鳴く
つきぬけるような響きにさそわれ
わたしはふかい谷をおりていく
それはほんの一瞬のこころの迷いのようなものなのだが
あまりにとうとつに響きわたるのでおどろいてしまう
ふかい谷にうっすらと光のすじがおりて
わたしはひとりでないことをよろこぶ
すでに失われたひとがわたしを呼ぶ
呼び捨てにするその声はうるどく内耳をうち
谷を谺していた鳴き声が沈黙の滓に隠される
カナリアカナリア お前の名はしらないままだ
光のすじに向かって
空になった鳥かごをさしだす



  虚無僧

 こむそうがくる。それは匂いだった。路地の左手ずっと奥の角を曲がっ
てこむそうがくる、匂いがするのだ。どのような匂いか。なににも譬えよ
うのない匂い、それは激しい恐怖をともなうので家族は幼いわたしがひき
つけを起こすのを、うしろから羽交い絞めにするのだった。わたしには虚
無僧が角を曲がる前に匂いがわかるのだった。匂いがすると嗚咽がふきあ
がる。(こむそうがくる) 匂いはことばで括ればおそらく( )のなかに恐
怖も括る。

 隣に三人の兄妹が棲んでいた。兄をトシオ、中の女児をチエ子、下の弟
をテツオと言った。チエ子とわたしは同い年だった。四人でよく遊んだ。
同じように兄妹になってご飯を食べたりママゴトをしたりお膳を反して魔
法の絨毯ごっこをした。家同士が屋根続きなので縁側の土壁に薄い隙間が
あって、わたしたちは小人になってその隙間から行き来した。トシオの声
がうちでしたりわたしが隣で晩御飯を頂いていたり、大人たちが気づかな
いのが可笑しくてたまらなかった。トシオとテツオは近所でよくいじめら
れた。二人が悔し涙を流すのをチエ子とわたしはうつむきながらじっと黙
っていた。

 こむそうがくる! わたしが叫ぶとチエ子がわたしの手を握り、正体を
確かめるといい、今度こそ編み笠を取って仕返しをしてやるといい、泣き
じゃくるわたしの前で、そのこむそうがくるは強い匂いを発して玄関の引
き戸をがらりと開けた。こむそうがくるは尺八を挙げようとして脇を離し
たときトシオが後ろから差し刀の鞘を引っ張った。テツオが松の枝から編
み笠を叩いた。こむそうがくるは着流しを翻して何か言ったが、わたしは
匂いで訳がわからなくなり、ぐるぐる回りをまわってばかりだったが、編
み笠の下は真っ黒で中身が無かった。こむそうがくるはなにも来ない匂い
であると大きくなってもとても恐ろしいままである。



  よりてかみ

頭がちりぢりになる よりてかみよりてかみ ああ濁音がほしいと雨乞い
をするが わたしは動物を四角にたたまねばならない 四角い箱にしまわ
ねばならない 
雨のしたたるよりてかみの納屋はばぁちゃんの
桐箪笥が二棹たてこんで
そのすきまに箱をつみあげる ああ濁音がほしい 動く物にすぎないとわ
たしたちの夕食に供される動く物は臓腑にたどりつくのだが ことごとく
おしなべて箱のかたちに押し込められる 納屋の長持の引き戸をひらくと
四角にたたまれたばぁちゃんのばぁちゃんが膝をかかえて笑っている そ
こいらに濁音がふきだし なつかしいかっての動く物たちよ そこにおす
わり わたしのことばの鏡となり光を照らしてほしい ねがいのはしから
洗われて
硬くなりはじめたよりてかみの動物をたたみつづけているようにおもわれ




  わすれもの

ふたつの点を結ぶ直線の定義とは
ふたつの点の離れかたより
もっともみじかいことのほうが大切なのだと
わたしは直線を体にもたないので
みじかさはまっすぐとおきかえられ
あなたはまっすぐに立っていなさい

誰もいない校舎の廊下で
直立不動
わたしは体のなかに
先生に言われたとおり
忘れ物をさがし続けている
背中が痒くて

柱に肩甲骨をこすりながら
大人になっていった
いつかわたしの骨をみた人は灰のなかに
細っこい定規を見つける
それは先生が命じた誰もいない廊下で
分かち続けたふたつの点の間をつなぐ
なにかよくわからない最期の
みじかさなのだろう

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