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       Collection詩集 U



松川穂波































































































































詩集 
水平線はここにある

松川穂波
思潮社 20189

時の速さを測るのは
火の重さを量るにひとしい
かげろうのようにダリアが揺れて
わたしが打ち刻む
一にぎりの夏

(「時計の時」より)


 

   不埒な散歩

一打ちの梵字から
静けさが放たれている
ここにわたしが知る名前はないし
わたしを知る名前もない
水汲み場の葉桜の下から
歩きだす

枯れ具合のいい石
伸び盛りの艶々しい石
折り鶴のとまる石
路地のようにたてこむ古い石
釋 十字 行書 楷書 文久元年
平成二十五年 家紋 勲八等功七級

斜に歩けば
ほどよく滲みあう
わたしと石の体温だ
やがて
ひときわ
つややかな一行で
<南無阿弥陀仏>
誰も見ていない
刻まれた文字に指を入れてみる
なぞっていく
指先に鎮まる息がある
過ぎる思いがある
この指の先ほどの浅さで犯す罪を重ねてきたのか
知らぬうちに深く赦されてきたのか

それはいかにもわたくしの言いそうなことであって
水汲み場はバケツである
わたしはアルミのひしゃくである
ひしゃくは歌うよ
へのへのへ へのへのへ
と しゃがれた声が唱和する
へのへのへ
振り向くと
故陸軍伍長 行年三十五歳
調子に乗って
まひまひま まひまひま
右隣の石の下から
あどけない声が返ってきて
まひまひま


どなたの墓であれ
水をそそいでは
唱えていく
生きていることは
きのきのき たりぱらさ くねらりぱ
死んでいることは
てへちたた るきゆもに ふらこなそ

あちらこちら声が湧き上がる
おかしさをこらえて石が揺れる
骨も灰も愉快にやっておくれ
葉桜はそよぐ梵字だ
闌けてゆく春




   大航海時代へ

くりん と乾いた秋の日 断崖に来て両腕をひろげる
東 バルパライ港! 西 ロカ岬!まだ見ぬ地の名を
風に叫ぶ 港の夢と岬の希望をあわせ 海の波の泡で
割ったら きっと永遠が生まれるだろう そんな晴朗
な朝 わたしの海賊船は白い帆をあげて出航するのだ

くりん と乾いた秋の日 丘の上のその老人ホームの
食堂は 塩をふる音さえ聞こえる静けさ 銀ラメ色に
爪を染めた車いすの老女が両腕をひろげたまま ふく
ふくと眠る 東の眉 西の眉に不敵の白い帆をかかげ
いま かがやく海賊船は永遠までのどのあたりだろう




   寄り道

日曜日
礼拝堂には
人びとがメザシのように並んでいる
わたしは神様に用事はないが
すこし座っていたかった
空手のまま
眼をとじている
古びて固い椅子
所在なく座っていると
はじかれているようで
この世の端っこに腰かけているようで
神様もわたしに用事がない
そのことがよくわかる
もろもろのアーメンが
荒寥たる叫びに聞こえる
指先で釘のあたまをさぐっていると
冷え冷えと思い出す
大工ヨセフと呼ばれた男
どことなく影の薄いその男
夜明けの斧の刃をつたう一滴の露のように
いつかしら消えた影のこと
そんなヨセフならたくさん見た気がするが
窓には燃える
アマリリス アマリリス アフリカ原産
無邪気なまでの青空を
手負いの小鳥が
よぎって消える
所在なく座っているだけで
見えるものがある
押し返すものがある
 とどまれ
 このわたしの傷のうえに
古びて固い木椅子のささやきだろうか
神様が混ざったような木質の声で




   挽歌

奇数は生者のための数で
偶数は死者のための数だと
あなたは語った

雲が美しい謎のように
白くからまって
秋の空を流れていた

あれから
数は集合し
離散し

銭金と家族
奇と偶のあわいで
きしんだり傾いたりした

割り切るときこころは消え
割り切れぬときこころが現る
たしかにあなたは正しかったけれど

今日の秋も雲は流れる
この世にあらざる方位を探して
音もなく

生者のための数に一を加え
死者のための数に一を捧げ
わたしの天秤は静かに狂う

思い出は数えられないから
十本の指のまま
生きていく



 

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