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       Collection詩集 U



たかとう匡子
たかとう匡子2






























































































































詩集 
女生徒(おんなせいと)

たかとう匡子
思潮社 20099

困難な世相のなかで教育の現場にたずさわった者としての苦い思いを、
ここで仮構された登場人物である彼女たちにイメージの中で語っても
らいながら、作中人物と、私という発話者のまなざしを通していきたい
と思った。(あとがきより)



   

    さようなら

 中空に切り株ひとつ
 あれはいつか見た風のなかの木の長椅子
 羊の皮のカバーがかかっていた
 ふりそそぐ春の陽光がまぶしい
 乱反射
 それとも逆光
 あれは風のなかの木の長椅子
 居場所が欲しい
 木のぬくもりをたずねてここまできた

 ひかりのしずくが楕円形の切り口をすべっていく
 あせればあせるほど近づけない
 あわよくばトンビになって空中遊泳できたのに
 わたしはトンビになれないから
 せんせい
 さようなら

 地上何十メートルかの中空の
 風の通り道となった奇妙な幾何学模様の角にしがみついて
 切り株の断面をみつめている
 あたりいちめんなまぬるい風のにおい
 どうしてこんなところに立ちつくしているのかなあ
 居場所が欲しかったのに

 道に迷ってしまった
 あれはたしかに風のなかの木の長椅子
 さっきから無言劇を見ているみたい
 もう後戻りはできない
 製作途中の粘土細工の造型は握りつぶしてしまった

 神の谷三丁目の跨線橋をわたる
 学校はやめることに決めた
 空の高い梁
 さらに高く
 そこでは友だちとの交信不能
 ふかい傷を負った空の底辺
 メールもとどかない距離

 それがはじまりだった
 居場所が欲しい
 ただそれだけだったのに
 せんせい
 さようなら
 中空でのできごとは了解できないから
 お話することはなにもありません
 課題の粘土細工は永遠に未完成のままです





   花はかかんで

 空をかきまわすと
 静まり返った夏の午後になっている
 連絡網がまわってきた
 教室の金魚が動かなくなりました
 終業式の日まで元気に泳いでいた金魚です

 いましがた染織の課題をはじめたばかりの手が
 花首をちぎっている
 花首をちぎっている
 しごいて
 まるめて
 真夏の縁先はあさがお色に染めるのに余念がない
 まっしぐらに花首
 その無意識が
 葉と葉のあいだからすべって転んで
 これはひょっとして堕落かも

 教室に入ると
 藻にからまれて苦しそうよと声
 涙をためている子もいる
 動かない金魚をじっとみつめる目がいっぱい
 夏休みの教室がしんと静まり返っているなんてそれは嘘八百
 あっ!
 さっきまで死んでいた金魚が生き返ったようよとまた声

 花はかかんで
 生き返った金魚を指さきで拾いながら
 夏の出口をさがしている





  教科書
(ほん)
をひらく

 
教科書をひらく
 土はしめりけをおび足うらに心地よい
 最初のページの一行とつぎの一行とのあいだ
 そのまたつぎの
 行と行の
 あいだというあいだにオジギソウの種を蒔く
 朝はやくから水やりをしている

 運動場がひび割れて水が流れはじめ
 砂場の砂という砂が立ちあがった

 誘導された生徒たちが避難している
 職員室からは緊急事態発生の放送がひっきりなしにながれている

   生徒の皆さんはせんせいの誘導にしたが
   って速やかに第二運動場に避難しなさい
   もう一度繰りかえします生徒の皆さんは

 窓際の席の女生徒がいちばんあとからみんなにつづいた
 だから教室は空っぽ
 教室のページというページは風に舞い
 不吉な予感
 教卓に積み重ねられた答案用紙も立ちあがった
 風に連れられて
 窓から出て行く

 とはいえ
 わたし
 あいかわらず水やりをしている
 今朝は学習園の水やり当番だから安易に持ち場を離れることはできない
 オジギソウのぎざぎざの葉の形状を指さきで裏返して
 行と行の
 あいだというあいだに蒔いたその種の重さよ
 すでに教科書はくぼみ

 そんなときだ
 スパイクを持った手が振り下ろされたのは
 裂けた眉間
 噴き出す血潮
 問題用紙が配られたからといってこの惨劇の顛末はとても書けない
 これは悪ふざけ
 それとも冗談
 その境界線はさだかではない
 教科書はすっかり水びたし





   紙の舟

 
ときに声なく
 くねりながら流されていく
 話したいことが
 話さなければならないことが
 いっぱいある
 にもかかわらず

 見知らぬ地図のずっと下
 有用植物の群生に
 今朝はめずらしくよい気分
 擦り切れてしまう前に
 歴史をたぐりよせなければならない

 戸口に現われたのは紙の舟だ
 それは千代紙でていねいに折られていた
 いましがた女の子がその折り目に足をひっかけた
 膝小僧には血がにじんでいる
 いつまでたっても四歳
 女の子は痛みをこらえながら
 真夏の空をよじのぼり
 焼けただれた町から
 紙の舟に乗って帰ってきた

 戸口はことし六十回開かれて六十回閉じられた
  (おかえりなさい!)
 立ちあがって窓を大きく開けた
 とおもったら
 紙の舟はブラックホールに墜ちて
 うつろの彼方へ
 幼い命の
 無念の死
 の影が
 日増しに濃くなるのがわかる

  (学校に行きたかったよぅ)
  (字もおぼえたかったよぅ)

 話したいことが
 話さなければならないことが
 いっぱいある
 にもかかわらず
 すでに声なく流されていく
 紙の舟

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