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      Collection詩集 U


貞久秀紀
貞久秀紀5


























































































































詩集 
明示と暗示

貞久秀紀
思潮社 2010年7

 ある文によって暗示されることがらがすでにその文に明示されて
いるそのような文があるだろうか。ゆれている枝によってよび
おこされるものが、ほかでもないそのゆれている枝であるように。

(「序」より)




 

数のよろこび


 
道のべにあり、ゆきすぎてなお思いかえされる二、三本の木は、
二本とも三本ともなく、二、三本として思いかえされる。
 べつの日におなじ道をゆけば、二本か三本かのいずれかがあり、
いずれもこの二、三本の木であるのにほかならない。






木橋


 
きのう来たとき道にあり、目じるしにとひろい上げ、木橋までは
もちあるいた石がゆくさきにみえる。

 たとえみえてはおらず、忘れられてあるとしても、いまも木橋で
ある板は、歩みわたれるもののように簡素に溝にわたされている。

 ここへ来たのはきのうではなく、十年も幾十年もむかしのように
思えるが、それもまたきのうのことのよう。

 目にうつるものはみな目じるしとしてありながら、この石をある
ところからべつのところへ、遠巻きに移しかえるのはなぜだろう。






明示


 わたしはカンちゃんに「ほら、」と声をかけて、あの木の枝には
鳥がいるといいながら一羽を指でさし示し、カンちゃんの視野にも
指を入れておなじ鳥をさした。
 家の軒にさえぎられて、わたしにみえるものがみえないために、
小鳥が見つからずきょろきょろしはじめているのが、うごかないで
いるカンちゃんであるとき、
 カンちゃんの手をとり、ついで体ごとひと続きにわたしの視野の
なかへみちびき入れて、ふたたび「ほら、」とうながすと、かれは
それをみずからの声としてつかいこなし、枝にいちどきに現われた
この鳥を指さして、
「ほら、」
 とおしえ示した。






知識


 
まだ幼く、ものを指折り数えることのないわたしが、おや指や人
さし指や小指のちがいはわかるが、くすり指と中指はわからずいた
とき、わたしよりひとまわり大きく、すでに学生になりかけている
従兄がだれかの学生帽をかぶったなりで庭に来て、手に手をとって
こうおしえてくれた。
 中指の中はまん中の中であるから、ある指が中指であればそれは
まん中にあり、りょうどなりにはひとしい数の指がついている。
 くすり指はそのまん中の指と小指にはさまれている。
 どの指もそまつにすることのないよう、このことを忘れずにいて
ながめていれば、はじめに中指、ついで小指が見つかり、しだいに
くすり指があらわれる。
 なれるにしたがいこれらが順不同であらわれたり、同時に見分け
られるようになり、そうなれば中指のところには中指、くすり指の
ところにはくすり指がついている。






日の移ろい



 ともにゆれているいくつかの枝が、そのいくつかに分かれて風に
うごき、うごきにあわせてゆれるあたりには、葉をしげらせたどの
枝にも日があたり、どの枝についていて、
 まだ枯れない葉にも、そこからそこまでがこの木であるところで
乾いた陰日なたをつくり、いまもこの世にあまねくひろがる日が、
そこでは葉の数に分かれておのおのゆれうごく。






希望


 山すその道を歩いてあるところに目をむけたときは、低い電線に
キジバトがとまり、すぐまたとぶのがみえた。
 とまるとともにとび離れて電線がうごき、いまもゆれているのが
みえる。

 キジバトはもういなくても、いままではそこにいていまは離れた
からゆれているとわかり、またたとえキジバトがいたとは知らず、
電線だけがゆれうごいているとしても、風のためではなく、何かに
つよく触れられたとわかる。

 晴れた日にたまたま電線があり、ゆれているならば、何があった
からゆれているのかといぶかり、これから何がおきるのかとはなぜ
思わないのだろう。
 これからゆれ止むのにすぎないとしても。


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