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       Collection詩集 Ⅱ




寺岡良信






























































































































詩集 
龜裂

寺岡良信
まろうど社 20143

明日も葡萄色に黄昏れる五月の海よ
繰り返し陽炎に溶ける錆びた銃身が
わたしだ     
     (「銃身」より)


 

  鍵穴

蒼白い月光にうながされて
流氷が接岸しはじめると
看守の鍵束が夜通し廊下に響く
独房はどれも星座の名前がついてゐて
白鳥座の囚人は
飼つてゐる白鳥が死ぬと
ランプの芯を低く落とし
(もがり)を営むのだ
愛する囚人たちの寝息を
鍵穴から確かめては
独房の表札を裏返してゆくのが
老人の仕事だから
彼もまた深々と跪き
暁の闇に堪へた
そんなとき
逃亡した少年の
切れ長の目が
看守の胸をよぎる
冬の銀河に
鍵穴からカヌーで漕ぎだして
行方知れずとなつた少年
――

忘却はいつも翼ある背のかたちをして
薄明に盲ひた指が
樹林の雪にハープを弾く





  系譜

雨粒をふくんで霧が立ちのぼる
雪渓に転ぶ谺の虚言を叱るために

山脈を蒼く閉ざす季節の沈黙

芽吹かうとする樹々の喘ぎで
産褥を濡らしつづける母よ 
寂しい鼻梁の系譜は
あなたたちによつて守られたから
里ではいつも残花を追ひ越して
雨季がめぐつてくる





  棄教

雨季は洞窟を抜けて去つた
四方を茨に囲まれた海で
転んだパードレたちが
波しぶきを立てる
乾いた壁画の嗚咽
棄教の知らせを
島びとへ伝へるために
群青に縫ひ取られる
燕の航跡――

父よ
月光が砂のやうに
あなたの眼窩に留まつて
その国はあまりに遠すぎる





  龜裂

高原に秋が来た
牛飼ひの鳶色の瞳の奥に
私は私自身の姿をまさぐる

私は使ひふるされた甕
みづうみに悔いを曳きながら
忘却へ漂ふ白鳥よ
空が流れ
落日が火刑の生贄に
柔順な羊たちをつらねた
記憶の断片を
危ふく繋ぎとめてゐるのも
私に刻まれた
幾筋もの龜裂だ

高原に最期の秋が来たから
払暁には寂しい霧が
龜裂に滲みいるだらう
月光と
地層深く眠る泉の
未生のせせらぎ
――
言葉を持たないものたちの
透明な意思だけに従つて
私は龜裂から壊れ
土に還る
銀河が甘い乳なら
それを汲みたいと願つた
牛飼ひも
明日は
ゐない




  砂浜

雨季と雨季の裂け目から洩れた月光が
砂浜を蒼い傾斜にした
鳴き砂が密やかに囁くその道を下つて
わたしは今日赦しの国に行く
夏の星座が短い夜をきざむ
潮騒に隠れた水底の聖地
あたりまへの約束が
あたりまへの通りに
おこなはれる
儀式には
いかなる奇蹟も起こるはずはなかつた

わたしが歩み出したとき
わたしの影が
わたしを離れ
ハマナスの香りを
嗅いだほかは


 

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