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Collection詩集 U


木村透子
木村透子2


































































詩集 
黄砂の夜

木村透子
思潮社 2011年10月

 

  植物を育てていた
  動物も育てていた
  あなたは彼らを集めて
  からだの下でもう一つの部屋をつくる

   (「黄砂の夜」より)



 

 

水位が縁をあふれつづける
わたしの内部の あるいはわたしに向かって
満ちる水



移動性高気圧が列島をおおいはじめた
光の粒子が質量を増し
動物も植物も真珠色の湿気をおびる
ガラスの温室の
ガラスの水槽
さざなみ立つ生温かい水圧に包まれてわたしは
揺れている
石灰質の細かな泡を吐き
ながら


ガラス面で幾重にも屈折した光の発熱がわたしを
原生のいきものにする
細胞膜を自在に浸透する水が
身体の境界を曖昧にして
いく


光が水に溶け
水が光に溶けて
世界という薄青い混乱
すでに膜はやわらかに退化しはじめ
在ったという感覚だけが微かに
残る


わたしはみなぎりつづける
光に溶ける
まで





 私的な出来事

冬のあいだにからだの半分が透明になっていた
見えない右半身はどこかに行ってしまったのかも
しれないけれど右の目と耳は少し離れて在る感じ
で思考回路や感覚系統をかろうじてつないでいる
から一個体としてのわたしは保たれているらしい


断面が見える
うやむやにしているものが呼吸に合わせて
見えたり見えなかったりをくり返す
透明になるなんて
それはそれでいいこともある
他人の目を気にすることもない
思いっきりはじけることもできる
だけど半分では
困る


A子がやってくる
右半身を見せないように
向きをかえる
A子は覗こうとする
もっと右に向くと
もっとまわって覗こうとする
わたしがまわって
A子がわたしの周りをまわる
二人はまわる
まわる
ついに目がまわる
A子は勢いづいて飛んでいく
空を飛んでいく
さようなら


ああ B子がやってくる
とにかく逃げる
わたしの右半身がないことに気づく
心臓に手を伸ばして
引っぱり出そうとする


わたしは両(?)手で押さえる
引っぱる
押さえる
引っぱる
押さえる
ついに疲れる
伸びた心臓が二人の間でぷるんと震える
おもしろくなさそうにB子は去っていく
さようなら


右側に鏡を立てる
左右対称のわたし
これで誰も気づかない
左側にもう一つの鏡を立てて
照らし合わせる
わたし
 の向こうに わたし
  の向こうに わたし
   の向こうに わたし


ほんとうのわたしを
誰も
知らない





 空梅雨

夏の教師が
困った問題を出す
から
紫陽花の
無関心で
倒立してみせる
スカートでかえる
無垢の
青空


生温い親密を拒否
する大理石の上で
パン生地をこねる
湿っぽい鬱憤を
呟きはじまる
から
言い含めて
空に
放つ


降ラナイ降リマス降ル降ルトキ降レバ降レ





のようなもの

指に触れたとき、わずかに丸みがあって、なめらかでやわらかくて、
だからきっと親しいものにちがいないと思いました。暗闇で手を伸
ばして、もっと触ってみようとしたら、口を開いて(たぶん口だと
思うのですが)、 指を挟まれそうになったのです。びっくりして
引っ込めました。だけど、伸びてきて、ぴたりと手の甲に張りつい
てきました。驚きを通り越して凍りつきました。動くし、思ってい
たより大きくて、形も変えられるのです。それに、はじめに触れた
ときのようにやわらかくなく、冷たい感じがします。微かな異臭が
しますが、これが発するものなのか、空気中を漂うにおいなのか、
あるいはわたしの冷たい汗なのか。この部屋に窓はありません。ほ
んとうに真っ暗です。わたしひとりきり(のはず)。 心臓のどきん
どきんという音ばかりが反響して。


空気が重くなって息苦しいほどです。それはいまこの闇のなか、す
ぐ近くに在ります。もしかしたら居るのかもしれません。手に触れ
ていても、何なのか、何でできているのか、ほんとうにわからない
のですから。いったいどういうふうで、わたしに何をしようとして
いるのか、生きているのか、もっと近づこうとしているのか、離れ
ようとしているのか。なんとか立っていられるようにからだを二本
の足だけにして、じっと息をひそめていようとしました。微かな呼
吸の震え、まばたきの音さえそれを刺激するかもしれないから。
声も出せずに暗がりで目をあけたまま、長い時間が流れたとうな気
がしますが、わずかな間なのかもしれません。手に接している部分
から全体を想像しようとしました。でも、頭が遠くに行ってしまっ
ていて、考えが浮かんできません。ほんの少し手を動かしてみます。
わたしと一体になって動いているような感じです。ああ、なんてこ
と、皮膚に張りついていると思っていたのに、この瞬間、ぐぐっと
皮下に圧し入ってきました。驚くほど素早く。


ちりちりとした痛みのようであり、引きつりのようでもあって。わ
たしのなかに入ってきている、入ってきてしまった。手からからだ
のなか、腕や背や腹部へ、足や頭部へと広がっていって、内側に隙

間なく張りついてしまった感じです。次の瞬間、痛みを感じる間も
なく背中の皮膚に裂け目ができて、するりと脱ぎ捨てられてしまっ
たのです。それはようやく離れました。わたしの器官ごと、わたし
のかたちをして。


がらんどうのわたしが膨らんでいく
この部屋の闇と同じ大きさになり
建物の闇と同じ大きさになり
夜空の広がりになって

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