◇お断り◇表記できない漢字は別の漢字に置き換え、また、ルビは()で表示しています

               Collection詩集 U


横田英子
横田英子2

































































詩集 
川の構図

横田英子
土曜美術社出版販売 2011年11月

 

  とどめられない
  落下していく
  奔流の果ての
  その場所で
  器の存在に ようやく気づいている   (「器の定義2」より)



 

  冬の交差点

バランスをなくした
その位置で
信号の赤が
渦巻きに回り出す
行き場のない 私の方向指示器は
右に左に揺れる

暮れる空の彼方から滲みでる
薔薇色にぼかされた雲の群れ
落ちてくる雲たちは 泡になって
脳裏で 霧のように立ちこめる

私は羊水の中で泳いでいる
いつから女であることを自覚したか
羊水の優しさの中で
満ち潮に誘われ
桜貝を一つ握りしめて

忘れていた波の音
交差点の人渦で聞いている
あれは引潮
人の生死に うねる海の
青紫の暮色に包まれる
胎内の波の中の揺らめき

その時
最後の別れを告げる霊柩車の
鋭い一音か
人の胸を裂いて
交差点の現実が呼び覚まされる

いつ無くしたか
あの桜貝見つけに
白線よぎって
ふたたび 歩を進める
暮れる交差点の
信号は青





  衣替え

女は体の中に
多くの部屋を持つ

盛りきれない余った野菜を
隠す部屋もあった
時代遅れの 捨てられない
衣類の山を 置くところ

抑制できない
情念のはしくれが
端切れのように
散らかされた部屋

捨てきれない不要物でいっぱい
女はしきっては
またひとつ部屋を増やしていく

女は
しきりの隙間で身をよじる
それは鏡に反射し
光の帯が
四コマ漫画のように
女を切っていく

いつの間にかしきりがはずされ
風が部屋中に満ちる
風が通り抜けた部屋は
あっけらかんと広かった

狭い空間で身をよじる性に
苦しんだのは
時間のいたずらなのか

ふたたび風が突通過して
部屋にナフタリンの匂いが
広がる





  川の構図

うろこ雲が
映える川は 今は静かだ
その内側に
幾本もの刃を隠し持って
ちらっと上目づかいに
波がざわついている

岸辺にそよぐ
葦の歌を聞いて
流れたこともあった
水面を
ゆっくり撫でて
吹き抜けていく風よ

母の手のような温もり
だが刻々と冷めていくのか
いない日々が
切なく迫るときがあって

その上流で
母の子守唄は底まで染みて
母は 常に先を流れて 抗い
ついに泥にまみれて
散っていった
あのさいごの虹色の飛沫を忘れない

夕闇を裂いて沿岸の家の灯がまたたく
川は灯りを川面に映しながら思う
人々の心の中をゆったり
流れる川でありたいと

もっと下流に向かって
刃を一本一本
捨てていくのだ





  雨音

水位が満ちたか
母の頭の中で
魚が水とともに溢れていた
カラフルな魚たち
母の脳細胞を砕くか

激しく尾ひれを振るわせる
母は口まで寄せてくる魚に
ことばを喰われる
母の三半規管から
音の入り口までふさいで
母は魚たちに
占領されたのか

水位が落ちて
消えた魚たち
だが母は空の胸内を埋めようと
深夜の廊下を
しのび足で歩く

真夜中の雨の音は
ことのほか こたえるのです
私はどこからか聞こえてくる声を
傘の上で転がしている
消してはいけないことばを
繰り返しながら
梅雨の中を彷徨う

青梅を食べてはいけません
川で泳いではいけません
若い母の声だ
魚が嫌い
青い背の魚はなおさら
食べなかった
母よ

未明
なお降り続ける


  indexback  横田英子