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       Collection詩集 U


冨上芳秀



















































































詩集 
真言の座

冨上芳秀
詩遊社 2014年1月

この世では何の関係もなく、他人の前に現れ、何の関係もなく
死んでゆく人が多い。私はいつも黙ってそんな人をコデマリの
花の下に埋めてやる。  (「コデマリ」より)





   
私の歩いている町には硝子の太陽が出ている。白く輝く透明な太陽だ。町に住んでいる人々は影もなく、透
き通っている。どこへ行ってもそんな町があって、みんな私に微笑みかけてくるが、私もまた透明なので、
私の姿は人々には見えていない。だから、町の人々は私の後ろにいる人物に微笑みかけているだけなのだ。
野原に出ても、海に行っても硝子の太陽は白く冷たく燃えている。だが、私の頭上に輝く太陽は私だけのも
のだから私は黙ってその光を浴びながら歩いて行くのだ。                 硝子の太陽




今日もメッキの剥げたブリキのバッチを付け、路地裏の掃除に出かける。その男は足の先から頭のてっぺん
までピカピカとメッキを施し如才ない笑顔を満面に浮かべて駅前に立っていた。アーケードに巣を作った鳩
が男の禿げ頭に糞を落とすが、メッキを施した頭はハンカチでひと拭きすればすぐきれいになる。私は汚れ
ることのない男を横目で見ながら道を掃いていた。剥げたブリキのバッチが私の唯一の誇りであり、身分証
明証なのである。しかし、メッキ男は私の存在そのものを胡散臭いものにしてしまう。ぱちぱちと拍手が鳴
り響く。メッキ男が何か気のきいたことを言ったのだ。私はメッキの剥げたブリキのバッチを付けて路地裏
の道を掃いていた。                              ブリキのバッチ
     



夢が囲いの中で羊のように並んで鳴いていた。私はそれを一匹ずつ夜の中に入れて計量した。それから鍵を
書けて夢が逃げないように管理していたがいつも誤差が生じた。困った私は昼の中に夢を探しに行って数合
わせをした。性能のよい編物機が夜と昼の物語を編んだ。女は笑いながら長くて赤い舌を私の脳髄に差し込
み淫らにすする。夢は私たちの家の窓という窓を赤と青に染めた。             羊の飼育
                                        



上海の路地裏に無造作にガラクタを並べた古道具屋があった。私は骨董品が好きなので、妖しげな微笑を浮
べた淫らな仏像や何に使うのか分からない医療器具とおぼしき物や拷問の道具や貞操帯の類などを眺めてい
た。すると、背後に誰かにじっと見られているような熱い視線を感じた。振り返ってみると坊主頭をした裸
の煤ぼけた木製の人形があった。白い歯と赤い唇の男がガラスか水晶を象嵌されたリアルな眼で私を見つめ
ているのだった。体の全ての部分に黒い丸印が点々と付いているので、鍼灸のツボを示すための人体模型だ
とわかった。オヤジに聞くと「あんた、日本人だな、それならお金は要らないから持って帰れと」言った。
私は中国語がわからないのに、オヤジの言葉は、その時、何故か明瞭に理解できた。今、私の部屋のベッド
の横に立って、その男は時々、身体のツボに針を刺してくれと低い声の日本語でつぶやく。仕方がないので
千枚通しで刺すとああきもちがいいと喜ぶ。その結果、どんな恐ろしいことが起こったかは、私の口からは
言えない。                                      人体模型




夜なかに子供が起きてパソコンを動かしている。一人でゲームをしているのだ。子供が現実から逃げてゲー

ムの世界に生きているような気がして私は叱った。叱るとさびしくて仕方がないと泣いた。泣いてもさびし
さは変わらない。人間と言うものはさびしいものだ。夜なかに母が歌を歌っている。眠れないのだ。少しず
つ頭脳の退化している母もさびしいに違いない。子供も母も私もそれぞれのさびしさを自分で耐えなければ
ならないのだ。私は時々、自分の欠点を子供の中に見て情けない思いをする。子供のことを考えると心配に
なるが、昔から私と同じような人間がいて、それぞれの時代をその人なりに生き抜いてきたのだから、何と
かやっていくのだろうと思うことにしている。                        血脈




霧に包まれた遠い異国の街では、夕方になると長い火付け棒を持った人が、瓦斯灯にひとつひとつ点火して
いく。そのたびに青い瓦斯が燃え始め、町が明るく楽しそうに輝き始める。誰も知らないけれど、私たちの
住む街にも長い火付け棒を持った人がいて、ひとりひとりの胸に愛の火を点していく。すると人々の心に赤
い炎をが燃え始め、街は花に包まれたようにやさしく輝き始める。             火を点す人




赤い革鞄を背負った女の児が緑色の風が吹く林間をひとりで歩いていた。何故か白い包帯を巻いている。「ど
うしたの?」「跳び箱を失敗して」「そうかい痛かったね」「うん、でも大丈夫」樹上からまだ巧く飛べない
ムクドリのヒナが降りてきて水っぽい白いフンをして震えている。「大きな鞄だね、今、一年生かい」「う
うん、四年生」緑色の草むらでは白い蛇が緑色に染まりながら細い赤い舌をチロチロと動かしていた。さよ
うなら、女の子、さようならムクドリのヒナ。緑色の風は細い林間の小道を吹き抜けていく。   緑色の風




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