
詩集 白豚の尻
冨上芳秀
詩遊社 2018年1月
…詩は言葉の意味ではなく、その世界を感じることである。私が伝えたかったのは、
<白豚の尻>を感じてもらうことであった。…この詩集を読んだあなたが、一度でも
思わず、ニヤリと笑うようなことがあったならば、私の<白豚の尻>は、確かに、
あなたに伝わったのである。
(後記より)
私沈丁花の香りに誘われて、夜の町をさまよった。やわらかい春の風が、私の心を透明にする。額を、耳を、
鼻を、日を、喉を、唇を吹き抜ける風の吐息。夜の闇の中に浮かぶ真っ赤な肉感的な風の唇が、私に昔のこ
とを話しかける。ああ、そんなこともあったね。たのしかったなあ、でも、あなたは誰? ぷっくりと膨ら
んだ女の肉の匂いのする風の唇。地球の果ての断崖から落下する茫漠たる海の水の音が、風の唇の吐息に混
ざっている。昔、小さな木の家に住んでいたので、風が窓や雨戸を揺すったり、叩いたりするのを聞いてい
た。もう少しで、私も風の中に住むことになるのだろうか。風の唇を見ながら、その声を聞くようになった
のは、私がずいぶんと歳をとったからにちがいない。 風の唇
「まあだだよ」と私は見えない鬼に向かって叫んだ。「もういいかい」「もういいよ」探している足音が過ぎ
て行ってから、長い沈黙が続いていた。私は不安になった。探しくたびれた鬼は、私を残して帰ってしまっ
たのではないだろうか。物陰から飛び出した路地はもう夕闇が迫っていた。私は仲間の少年たちを路地から
路地を探して回ったが、誰もいなかった。その時だった。曲がり角の向こうから知らない大人がやってきた。
「いたいた、やっと見つけた。おじいちゃん、こんなところを徘徊していてはダメじゃないか」え、ああ、
そうか、私はいつの間にか、老人になっていたのだ。その男たちは鬼のような顔で私を睨みつけた。「この
ジジイは、いつの間にか逃げ出していたのだ」「早く施設に連れて帰らなければ叱られるぞ」鬼だ、こいつ
らは本当に鬼だ。強く腕を掴まれた時、私は死んで地獄に落ちていたことを思いだした。鬼は、私を地獄に
連れ戻すためにきたに違いない。「おじいちゃん、おとなしく帰ろうね」鬼たちは暴れる私を猫なで声でな
だめながら自動車に押し込めた。 鬼ごっこ
もうだいぶ長い間、自転車に乗って月の道を走っています。青い唐辛子を山のように積んだ籠を背負った男
がひとりとぼとぼと歩いていました。私はその男の横をすり抜けました。脈搏が異常に多いのは生活習慣病
ですから気を付けて生活を改善しなくてはなりません。また、私は同じような男を追い越しました。青い唐
辛子は辛い。ドド、ドドドン、ドド、ドンドンと休みなく私の心臓が働いています。また、私は青い唐辛子
を山のように積んだ籠を背負った男を見つけました。貧しかった私の父は働き続けて死にました。私が十五
歳の時のことです。青い唐辛子は辛い。ドド、ドドドン、ドド、ドンドンと私の耳には今も父の鼓動が私の
生命といっしょに生きています。それから私は母といっしょに生きてきました。父の死後、母は女手一つで
私と妹を育ててくれました。母は私を愛し続けてくれました。母が死んだ時、私は六十五歳になっていまし
た。ドド、ドドドン、ドド、ドンドン、青い唐辛子は辛い。自転車をいっしょうけんめい漕いで私は走りつ
づけねばなりません。青い唐辛子を背負った男が前方を歩いています。夜が明けてきました。私は男を追い
越しました。青い唐辛子は辛い。赤い唐辛子を山のように積んだ籠に背負った女が、地平線の向こうから歩
いてきました。 青い唐辛子の男
異次元飛行
寂れた砂丘の町の喫茶店で猿飛佐助は真田幸村を待っていました。いつまでたっても幸村は現れませんでし
た。砂丘は巨大な砂時計でしたから、さらさらと砂糖のように落ちてゆきました。こうして時代は次第に
移ってゆくのでした。江戸から明治、大正、昭和、平成へと砂糖が解けるように時間は失われていくのに猿
飛佐助は取り残されてじっと主人を待っているのでした。白砂糖は毒ですから食べてはいけませんと母はい
つも料理の甘味にはちみつを使っていました。丑三つ時のはちみつはとろりと溶けて、秘密の匂いの酸っぱ
い甘さ、私は母の煮物が苦手せした。さびしい砂丘の喫茶店で私は誰かを待っているふりをしている猿飛佐
助でした。いつまでたっても誰も現れませんでした。窓の外を幼い私がおもちゃの刀を持って走っていきま
した。ありふれた町の喫茶店で私はぼんやりとコーヒーを飲んでいました。
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