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Collection詩集 U
         


神田さよ


















































































詩集 
傾いた家

神田さよ
思潮社 20156

 戸口は固く施錠され どの家も寝静まっている わたしは
 アスファルトを 傘で突き 無表情なまま 知らない町を
 歩き続けた
  (「暗証番号はだれにも教えてはいけません」より)



 

  アイスボックス

眩暈
(めまい)が密閉容器に入っていた
よく冷えていた
眩暈は発酵して生きていた
齧ると乾いてぽそぽそ
暗い朝 寒い朝

唾液で湿らせる
時間が年月が
辛い
別れた人の手の温度はあたたかいまま冷たい

きょう扉を開けると
海だった
もう冷やすことはできない
容器は蓋が開き
中味が飛び出ていた
慌てて閉める
三半規管が壊れて
躁鬱の顔
人が回る地が回る空が回る
息をのむ
眠れない夜
モーター音が唸っている




  球根

深夜
今すぐに植えてください
受領の印を求めると
男は走り去った
注意書きをみる
確かに夜更けに植えろと書かれている
外は月明かりなく
引き締まって闇の土
スコップが突き当たる
何だろう
硬い地層
手ごたえ止まった
時間を掘り起こしているみたい
コツコツ
球根は
暗い割れ目に埋められた
遠い森から流れて水
膨れてゆく球形
逆上がりする時間
地は震え
du-n do-n
寝室の壁を叩く





  秘書

メモを渡すため会議室のドアをあけた 衝立のむこうは資料をめく
る音も 発言する声も聞こえない ただ カチャ カチャ 衝立の
横からのぞくと役員たちは定規になって立っていた 時々音をたて
てぶつかりあっている 身体を横にして線を引くが 直線ばかり
となりの直線と交わるが 違う方向へ延びてゆく たしか議題は点
についてだった
小川会長からですと メモを渡した 福井常務は一瞬立ち すぐ横
になり また線を引き始めた わたしも巻き込まれて這いずり回る
巻尺になっていた いいね きみは 長く延びられて ぼくの限度
は二十センチなんだ 巻尺のわたしは 会議室の絨毯の上をするす
る進んだ 〈定規では測れない〉さっきのメモが落ちていた わた
しは福井常務の靴を見た 踵は減っていない 汗をかいていないん
だな きみきみ 議題のもう一つの点が見つからないんだ 一つは
あるんだが もう一つの点がないと線が引けんからな 捜してきて
くれ 急いでな
わたしは点を探しに路上に出た バネで引き戻されそうだが 自力
でぐいと引っ張って 延びて延びて 見上げるそのビルに 探して
いた点があった 考えていたよりずっと高い位置 想定外 何度も
壊されては建て直すこのビル 建て直す度に高くなる 長いからだ
に点の位置をつけ 息を切らして 秘書室に戻った わたしはもう
延びていることができず 見つけた点ごと 巻き取られた





  マキ先生

耳鼻科のマキ先生は
診察室で額に皺をよせていつも難しい顔
ヘッドライトをつけて
奥深く照らし
結果を患者に告げる
薬はよく効き
お陰様で楽になりました
と患者が言うと
不満げにカルテに書き入れる
ライトは病
(やまい)の巣まで届かない
身体の管を辿っていくと
暗闇の手前にはいつも医学書どおりの細菌がいる
病名はすぐ付くのだがなにか違う気がする
根本的な病原菌があるに違いない
だからこんなにたくさんの病人が
入れかわり立ちかわり来るのだ

きょうの診療は終わった
診察室の電気を消して
ヘッドライトをつけ回転椅子でぐるりとまわる
台の上のニッパーやピンセットが反射して
天井にひかりの破片
不定形の
さまざまのかけら
からだの外を
見るべきだったか

ヘッドライトをオフ
看護師たちは帰る支度ををして待合の電気を全部消した
暗闇の診療室
吸入器のおとがする
マキ先生はどこにもいない

先生は今日もお休み
ずっと
閉じているシャッター
貼り紙もなく




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