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     Collection詩集 Ⅱ


瀬崎 祐


















































































詩集 
片耳の、芒

瀬崎 祐
思潮社 2016年10

  形と重さをもたないものだけが赦されて
  いつまでも砂嘴の上を漂っている だから
  気がつかないふりをしていなければならなかった
   (「砂嘴」より)




  揺れる

湿った季節になり
電車のなかのいたるところに
茸が
びっしり生えている

十人の客を乗せて
電車は大きく曲がる
思わずつり革をつかんだ手は
九本
しかなかった

揺れるものをつかもうとしなかった手は
代わりに
なにをつかまえれば
安楽の地にたどり着けたのだろう

遠いところから来た人が
背後を過ぎる

暗い雨の匂いが
した






  下向

長い階段を降りていると
せなかのあたりで
展示会の準備ができましたと声がする

風が強くなりますから
その前に 早くいらっしゃってください

なんの展示会だったんでしょうかと尋ねかえすと
あなたの作品の展示会ではありませんか
と せなかのあたりの声はいささか不満げだ

地下へまっすぐ向かう階段は光にとぼしい

階段の途中で小柄な老婦人と一緒になる
顔がよくみえないが懐かしい人のようだ

展示会へ行くのでしょう あそこは好いところですよ
今までのものがなんでも展示されていますからね

わたしに展示に値するのがあったのだろうか といぶかしい
さあさあと老婦人にやさしくうながされて下へ 下へ
壁のくぼみに取りつけられている受話器に耳をあてる
風の音にまじってかすかな声も聞こえてくる

あなたがさあさあと逡巡しているあいだに
こちらはもうすっかり日暮れてしまいました

これは誰の声なのか いつの声なのか
遠くにつながった回線のもう片方は
どこで なにをとらえようとしているのか
北の大陸をわたる風の音が
わたしの奥ふかいところからつたわってくる





  幸せピンポン

お昼ごはんがおわる頃になると
ナカモト君がわたしの部屋にやってきてピンポンをする
昨日はきれいなお姉さんを連れてきて楽しそうだった
今日はあごひげを生やしたおじいさんが相手だ
長年経理の仕事をしてきたスギムラさんだと紹介される
わたしが研究成果をまとめているというのに
そんなことにはおかまいなしにピンポンをする

ナカモト君の打った球はときどき逸れる
そしてわたしの研究成果のなかをよこぎったりする
わたしは もうピンポンを止めてくれとナカモト君に言った
すると ナカモト君は意外なことを言われたという顔つきになった
だってピンポンの音を聞くのは楽しいことだよ
ピンポンの白い玉が弾むのを見るのは楽しいことだよ
それに
ピンポンをする人が近くにいるのは幸せなことだよ

ナカモト君が努力していることはよくわかる
世界中の人に幸せを届けようとして
いろいろな部屋に入り込んではピンポンをしていることも知っている
毎日の相手を探すのだって容易なことではない
この人ならば幸せピンポンをしてくれるのではないかと思って
一緒にこの部屋にやってくるのだろう
ナカモト君の気づかいもよくわかる

でも もう充分なのだ
この部屋でピンポンをするのは止めてくれ
軽く弾む白い玉がネットを越えて行き来するのを
向こうへ行ってしまったと思ったわたしの幸せが
またもや打ち返されてもどってくるのを
固唾をのんで見ていることにはもう疲れたのだ
この部屋でやるなら
どこまでも球を遠くにとばしてしまう野球にしてくれ
どこまでも身体ごと遠くへ駆けていくラグビーにしてくれ

それなのに
いつのまにか
わたしの部屋のなかはピンポンする人たちでいっぱいになっている
あちらには妻や娘の姿も見える
くったくのない笑顔でピンポンを楽しんでいるようだ

白い球になったわたしはナカモト君に打ち返されている
軽い音をたてて台のうえで弾み
それから スギムラさんに打ち返されている
白い球になったわたしは
いろいろな人のあいだを行ったり来たりしている
これがわたしの幸せというものだろうか





  燎火

陽がおちてあたりに冷気が充ちてくると もう飲水はゆ
るされない
肩や背中から そして下半身をおおった薄衣をとおして
身体のなかにも冷気が充ちてくると わたしのなかから
水が沸いてくる やがて 耐えていたものが溢れるよう

に わたしの指先から雫がたれる
それが刻限を知らせ わたしは燎火の準備をはじめる

崩れかけた土塀をこえて河に突きあたる手前に 燎火の
場所がある
背丈ほどにのびて立ち枯れている草にかこまれ きれい
にならされた地には石が組まれている はるか以前から
一族に受けつがれてきた場所だ
ここからはじまる火を わたしはおこす

すでに 燃やされるためのさまざまな形のものは片隅に
あつめられている
炎となるために異国から持ちかえられたものもある 乾
いた抜け殻のようなそれは軽く 揺さぶればかすかな音
が内部から聞こえる
閉じこめられたものが炎となるときを待っている

まず肌触りのよいやわらかいものを火種にする それら
のものはすぐに燃えあがり なんの気配も残さずにすぐ
に立ち去ろうとする
そのうしろ姿に声をかけて もう少しだけ固いものに炎
を受けつがせる わたしの指先の雫がかすかな音をたて
て蒸発するのはこんなときだ
少しだけ固いものは 少しだけ未練を残して立ち去ろう
とする

こうして次第に未練がましくなるものに炎を移していく
のだが ついには 炎のなかから叫び声のようなものが
聞こえはじめる
いまや わたしの身体もすべての部分から雫をまき散ら
していて それに抗うように 炎の声も大きくなってく
る やがて炎は固く伸びきったものにたどりつく
月明かりの下で炎が燃え移ったとき それは焦げていく
骨の匂いがする

   

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