夜凍河 22











 

                      

                

 

     ふいに梢が
                             
滝 悦子


  古い住宅地図を広げ 犬が走り回っていたところから 裏の雑木林 
  池の縁 松の木の先まで マーカーでたどって線を閉じてしまうと 
  外は 霧雨だった


  ひんやりしているのも悪くはない と思いながら靴の紐を確かめる 
  にじんだ町を歩くためにはしっかり結びなさい だれが言ったもの
  やら 裸足の子鬼たちも片膝立てて真似をする きゅっ 

  もう町の人たちは出かけてしまった ポストの裏では日記が燃える 
  燃え尽きたところから うっすら路地が生え 子鬼たちは両手を広
  げ ジグザグ駆けて行く ぼんやりした奥からひとりが姿をみせて
  はやくはやく 

  左右にまた薄い路地が伸び ゲンザイツカワレテオリマセン すっ
  と自転車が曲がって行く気配 そこだけ晴れていたり 祭りの後の
  ような風が吹いていても 横目で見ながら過ぎて行く 
 
  むこうでチラチラ 赤い灯が揺れる ああ まただれか 橋を渡り
  終えたのだ あの橋を渡るためには 車の免許証だけでは難しいと
  子鬼たちは首をふる せめてマスクがあれば バッグを逆さにして
  みるが しかし ないものは ない 

  子鬼たちも それぞれの巾着袋をのぞいては 顔を見合わせ 肘を
  つつきあう わかっているよ 川のむこうのヤコブの梯子など登れ
  るものじゃない たとえ片足かけたとしても 次の一段は遠すぎて 
  永遠に宙ぶらりん 

  霧の匂いのする方へ ふにふに ふにふに横切って行くものがあり
  いつまでたっても読めないペルシア文字に似ているが 名づけられ
  ず どこにも記されなかったきょうだいだ 子鬼たちが戻ってきて
  収穫の銀紙を広げると 「あすの朝刊やすみます」

  路地を抜けたあたりで霧は深くなり 途切れた日記の余白のように
  深くなり むやみに目をこらす 子鬼たちは 濡れた葉っぱを透か
  して見ては てんでに指差して めずらしく意見がまとまらない 
  やがて こっち! 

  子鬼たちの足音を追いかけ 倒れた長靴 終着駅の錆びた車止めを
  よけ ぬかるみだって ぴょん の、つもりが派手にしぶきをあげ
  ながら 裸の雑木林も駆け抜ける


  地図の裏側で なにかを破る音 もっと小さく破っては くすくす
  そうだね 流れてきたものは さらに遠く流れてゆくだけで 椅子
  やらなにやら引きずった床の疵 水槽の底にはプラスチックの赤い
  金魚が ころん 

  ふいに梢が鳴る 電線も子鬼たちもいっしょに ヒューヒューゴー 
  ヒューヒューゴー 囲んだ境界線も揺れ 野の果てではなにをみる
  だろう 地図を畳みかけると 黄ばんだ折り目からひとり、ふたり 
  顔を出しては にっ 
  靴は乾いているらしい




                              










     夜凍河22 2016.02
 滝 悦子  ふいに梢が  三月、午前十時の






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