| ゲスト:大西隆志 |

写真:堕天使 個展DMより
| ●雑記 大西隆志 日常的に接していると見えてこないものがある。多分にありふれてしまっているの かもしれない。ぼくが暮らしている場所からは、世界遺産でもあり国宝の姫路城は 視界によく入り込んでくる。白鷺城と呼ばれて美しく壮麗でもあるが、ぼくが慣れて しまっているからか、はじめて眺める人びとが受ける感動からは乖離している。 対象への視線が少し希薄なようだ。それでも、雨上がりで夕日を浴びた姫路城には はっとさせられることもある。ほんとうは毎日、驚きの発見に満ちているのかもしれない。 定点で城を撮り続けている写真家の知人は毎回発見がある、と話していた。うらや ましいと思ったが、ふとした日常に現れてくるささやかな事柄に惹かれているからか。 なぜこんなことを思ったのか。最近金沢へ小さな旅をしたからだ。加賀金沢には 何度か訪ねてはいるが、今回は小さなお店での演奏会に行くため。ぼくにとっては 貴重なライブ。このような時間の使い方は贅沢なようだろうが、せっかくだったので少し 古都を散策した。そして、三十年前に読んだ大江健三郎論集『人生の習慣(ラビット)』 での「生きることの習慣」や「隙間」という言葉を思い出していた。歩いている時に目に 付いた用水や疎水の気持ちよさそうな清冽な水の流れや、水路の石積みの美しさと 小さな花や苔類、日常の暮らしの隙間に差し入れられた風景からの贈り物のように、 ぼくに気付きをもたらしてくれた。 |
| ●年季もの 滝 悦子 いまもときどき切り抜いているのが、新聞の書評ページ。坂多瑩子さんの詩のように、 ジョキジョキと、よく切れるはさみの軽快な音を聞きながら。というのは夢想。重たい 裁ちばさみを指にはめこみ、ジョ、ジョ、ジョキ、ジョキッン。しばし握力の回復を待って 繰りかえし、やっと紙面を抜け出る。ぐちゃぐちゃの切り口だが、どうせ読み終わったら 切り抜きは捨てるし、これもリハビリと思えば、よくできました。 パチパチ。 重宝しているこの裁ちばさみは、義母が使っていたもの。じつは私には重たすぎるので 軽いものを買ってみた。しかし、ただ軽いだけが取り柄。年季もの、と呼ばれる意味が分 かった気がした。そのくせカーペットを切ったりしたので、研ぎにだして使っている。 はさみとセット状態で貰い受けていたのが、和裁用の竹製の物差し。鯨尺といったか。 すっかり目盛りが薄れたそれを手にしては、「よー しばかれたわ」。家人が懐かしがって いた物差しは、いつの間にかどこかへいってしまった。 |
| 湾曲エレジー 大西隆志 少し走ればと進んでいくが なかなかたどり着かない カーブを何度もやり過ごしながら 上り下りの道をペダルを漕いで 岬は目の前のようなのに この距離感、何度となく感じてきた 時間も捩れているように ぼくも捩れた場所に向かっていく 風も何度となく方向を変えて吹いてくる さわやかであったり 鬱陶しくあったりするのだ バスの運行もだいぶ前になくなってしまい ああ嫌だ赤字、と放り出された 効率のよい生き方に振りまわされ 膝と腰は骸骨の舞踏のように ガクガク震えているのか 岬は目標なのか 前へと少しずつ進んで行くが 多分、目標は失われていくのだ 正義もつねに揺れ動いていく でも草いきれも潮の匂いも いま、ここにあります ぼくらは直線の論理のスッキリさにあこがれ 誰かを傷つけていく 純粋さは、なかなかに純粋をつらぬけなくて 瓶ビール一本で酔っているのは 焼玉エンジンの小船でやって来た夢二さんではないか 理想の美人は都ではなく 古い港の路地の突き当たりにいて 湾曲の地形が美人の曲線にかさなっていく 竹久茂次郎として彦乃に手紙を書く 理想の社会も図案のように描けていたのか 関東大震災の東京災難画信には 焼け爛れた人や、子どもたちの自警団ごっこなど 描いていたんだ美人画と同じように 夢二さんも嘆いていた時代と、今は繋がっているようだ 曲がりくねった風景に重なるように たくさんの人が亡くなっているこの時間に 湾曲した躰の線 断層により起き上がった岬は 列柱の迫り上がった集落 かつて船が移動の手段 やっかいな理想でもあるが やっかいな世界に 唯一ひとりの岬はまだ先で 何度も挫折の穴に 投げやる怒りとは生きることの実感 つぶやきや 一時のやすらぎなど、大事なのだ 玄関から一歩踏み出すように ゆっくりだがペダルを漕いでいる |
| 夜凍河25 2025.08 |
| 大西隆志 | 湾曲エレジー |
| 滝 悦子 | アルバム2 |
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