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       Collection詩集 U



杉本徹
杉本徹2





























































































































詩集 
ステーション・エデン

杉本 徹
思潮社 20096月 
20回歴程新鋭賞

残像のように、ここに逆光の言葉が射す――
永遠と一瞬の幻を往還し、写しとられる光の鼓動、
無名の意志よ、あかるむ生のささめきを象りつづけよ。
(帯文より)



  

 (……あの、ながいながい昼に)

 ……あの、ながいながい昼に
 壁のつらなりを記した手は
 いま
 素描の港の風見へと
 飛ぶ角度をかえて移ろうとする
 手記からは
 こぼれ散るだろう塵と光など
――
 やがて薄紫のセーターにくるまれた、この一羽の鳥のために
 鳥の、錫の心のために
           雪の惑星は形見となり
 突端の、岬の映画小屋のように、近づくにつれ遠のく
 ……影
(シルエット)をいとおしむだけだった! ……語らず
 語られず、夕暮に大気の螺旋をめぐる
 まばゆい駅の、慌ただしい乗降客に
 ついに知られぬまま
 ………………………………
 ふと、果実をすら一個の牢獄と、呼ぶ、呼んでみる
 その小声の谺だけをポケットにしのばせて
 迷いあるいた

 消えてゆく陽のモアレに溶け
 記憶は猟銃のように凍てついて
 ときおり、ヨコハマからラヴェンナの
                  方位を指すカレクサに
 くすぐられ、……倉庫跡にのこる道を、彩られた命の綱を
 そっとたしかめた
 あまりに美しい冬空に怯えながら!
 (そうだった別れはいつも光とともに)
 (毟られた緋の花びらが宇宙の頸すじへと舞う)
 押し黙ったきりの高架を
            貨物と黒馬が駆けるとき
 ……あなたは花の、架空の血を、忘れてはいけない
 涯ての空で囀られた牢獄、牢獄の歌を、……忘れてはいけない





   灰と紫 A

 頬よせる車窓をつかのま、レンズの底の光がつたう
 ……あらゆる照りかえしは問いを孕み
 「かわく樹、かわく横顔
 そこまでの数年もまた、見知らぬ天体だった」
 地平をさえぎる風景は恒星に曳かれつつ、流れ
 いつか地を鋭角で截るビル影に、光年の谺をかえすため
 わたしの一秒を、翔ぶものの骨となす――

 「おそらくふりかえるたび、永遠を真似たにすぎない、せめて刹那の
 暗幕を、瀕死の花のように守ろうとした」
 晩夏ならば雪を語る、くるおしい町々の晩年をみつめ
 たどれない道々に親密なあかりを!
 それは胸つらぬくほどの、無時間を告げる映像なのかもしれず
 霧あるいは硬貨の裏おもてが、さかんに瞬いた
 ……橋梁へ、古い歌はいつもそうくりかえした
 薄闇という名の一輪、一輪によりそう誓約を裂いて
 「ひとすじ
――腐りゆく果実のしずく、秘めたナイフをつたうと。やがて
 時間の檻で、鶸
(ひわ)の秋も啼くと」
 古い歌はくりかえした、くりかえしわたしは信じた

   *

 太陽の映らない小筐
(こばこ)があって
 ビロードのみどりの傾斜地をうつむくとき、頭上を
 よぎる……何ごとかの痕跡に、捧げた
 そうだった
 九月の数時間はどれほど長かろうと、黒い樹からはじまり
 親しげな亡命の足どりが、幹をめぐる
 「夜がわたしたちを忘れ、わたしはきのう夜を歩いた」
 北にかたむく人影は言った、それは過ぎた国境への伝言となって
 白い二秒が、鎖された商店の鎧戸にふるえた
 鳴く犬、飲みさしのコーヒー
 いま、ちいさな半球/恒星を弄ぶように
 ふと靴音にまぎれて失う歌くずのように、……落ちた光の紙片を踏む
 あなたの筆跡も、葉となるまでの数日を生きたのだ
 太陽の映らない小筐があって
 舗石の格子をたどり読む夕暮には
 蜘蛛すら島、に見えたと書きしるし、……捧げた
 「わたしたちの天体の遺言は」
 「針のような、痩せぎすの雨の立ち姿となって降りそそぐ」
 誰の声もとどかない明日が、抜殻となって降りそそぐ
 そうだった
 錆びたポンプ、皿のきらめき
 ふれることのできるリフレインだけを、克明に捧げようと





   if

 凹面鏡の奥へ、路地を入りこむと
 草の葉の黄褐色に揺れていた、if
――
 崖下の髪に薄陽こぼれ、窓ガラスの青空に問うた
 そう、……あなたのほどく結び目の蝶の、ゆくえを

 暮れかかると遠い火が、消えてゆく息のように凝る坂
 遠い、陽に血はあかるみ、あかるんだ
――晩い秋の奸計として
 (コインランドリーの前を過ぎ、すずかけの木をめぐる)
 このたいせつな楕円軌道、靴先に湖水も滲んだ

 月曜、跪くあなたがささやいたのは、if
――
 銅版の闇を疵つけるように、囮
(おとり)の小鳥の、ように
 すると顛末を弄ぶてのひらで、孵る最後の光があった
 ナナカマドを七度訪い、絶えるつむじ風があった

 あれもこれも、鉄筆の刻み目から腐蝕してゆく
 (草地でタクシーを降り、手を振った人影も)
 筋かいに、記憶の泥濘のかがやくなら、……もしも
 凍りついた蝶のうかぶ、夜の水が、……底なしに深いなら





   二時と五時のフィルム

 あの日
――
 鳥影のような二時と五時を
 跨ごうとした、忍冬
(スイカズラ)の家の記憶(フイルム)
 西へさまようことで巻き戻そうとした、そうして、……
 いまはただ
 誓約という名の湖水が、掌に消えて
 バス通りに光まぶしく、(それほどにわたしは彼方より来たか?)
 こんなにも、仰ぐばかりで
 それでいて睡る間に鳴る梢を、おそれて
 駅裏の、遺失物保管所のガラスケースに寄りそう
 ペン、鉛筆
(ペンシル)、毒薬(ポイズン)
 これら、まどろむものたちがやがて還る場所へ
 秒針に閃く心のようなもの、ふいに誘うこの寄る辺なさは
――
 (岬の交差路――あかるむ泥の話し言葉たち)
 さ、小声で
 地下鉄道のはこぶ蕊について語っておくれ
 たとえばあの日、鳥影のような二時と五時を
 跨ごうとして
 空き罐のむこうの風の崖に
 何ごとを読みとろうとして、……
 取り残された今日に射したきり、親しい恒星のかたむく
 ビルの裏窓は誰の一ページか、(……ふと翻るもの、わたしの裸木篇!)
 ひょうひょうと音たてていた
           映像の涯てのちいさな日付に
 渦巻いて掻き消えた蕊について
              語っておくれ
 あの窓の、筆跡の闇は忘却の、車輛のつらなりほどに遠ざかり
 花の幻をほどいた導火線となって、風に舞い散り
 (それほどに、わたしは彼方より来た)

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