詩集 十字公園
杉本 徹
ふらんす堂 2003年9月
宇宙のほとりで、はてもなく点されては消えてゆく季節の火影。
見つめること、耳傾けることは、さすらうこと―無伴奏の
ラメントとして。(帯文より)
地球という驢馬の……
地球という驢馬の背から
鳩という呪文が空に散る……
(あのいく枚、いく枚もの、ガラス細工の東の空)
地下鉄を降りて人のくちづさむ、氷のシャンソン
陽の矢に傷ついて港そして、エスカレーターの嗚咽…
ザ・フィ・ロ… za・ffi・ro…
こうしてぼくの地図、出口の記されない
銀鼠(ねず)の町なみの織物は、張裂けた、ね、プブリウス?
微笑は小石さ、干からびた海星(ひとで)のような
滲む馬車
…駅、駅は花ざかり、霧雨の、時計の途絶え
陸橋は濡れそぼち、泥に塗(まみ)れて鈴のころがり…
カル、カル、と… わたしのカナリア、血と馭者に似た
片頬かしいで、滴(しずく)と箱、誰のものでも、ない馬車だから
脇道のガレージ歪み、輪舞(ロンド)くるめく蜘蛛…
雑踏に掃き寄せて白い微笑、白い、昨日に舞え…
ガラス屋に谺した二秒の、車輪の、仄めき
誰か素足で踏む、オルガンにつれ、夏過ぎよ、過ぎよ
…椅子、椅子の思い出、語ろうとしたが
横顔は濡れそぼち、遣る方なく片膝揺すり…
日除(フ゛ライント゛)の、指にのるような震え… 遠い近い家の
あれは何の剥落のリズム、あれは酩酊した一人ぐるい
鐙(あぶみ)の薄光り知らぬげな、舗道の人よカル、カル…
フラスコに唇寄せて、ウェイトレスの囁いた、運命は
よく、聞こえない… 血と馭者と、わたしのカナリア
片頬かしいで、滴と箱、誰のものでも、ない世界だから
糸杉の思い出
紋雀蜂の訪れを待つカフェで、ガラスの嵌った扉を開け
今朝ひとりの郵便配達夫が影を踏み、渡っていった
トランペットの悲しい螺旋を、さまよう、ように、覚束なく
…肌理の荒い、押葉標本をじき抛るから… 亡ぶ前に……
戸外を示す手は冬の、糸杉の、渦を熾(さか)んに描こうとした
*
数年に一度、辿る坂があって、やがてわたしの裏庭は左手に
垣間見える、糸杉の囲いの後ろで蹲る、掌(てのひら)を
斜めにして、よわい陽に翳(かざ)し、エ、ア… など呟き洩らすと
建物につづく庭土もそぞろ傾いで、枯れた芝草は
忘れられた水路の、ように、手紙の面(おもて)に滲みはじめる……
この手紙… 何事だろう、行間だけ置き去られた日暮れ、とは
*
渦の頂を見下ろす高みから、急な石段を降りてゆくと
ぬかるんだ小公園があって、昼間のあの驟雨のこと、思い出す
あたりはもうすっかり暗いと、いうのに、二人の子供、佇んで
一人は濡砂をわずかに蹴立てて、漏斗の形に、地を掘る
かと思うと一人は、見えない鞴(ふいご)を踏むように、躊躇がち
十字公園
冬の驢馬は、灰色の木の交差を、瞠(みつ)めた
正十時の、刻(とき)をかぞえ、わたしも不慥(たし)かな
何か、ふと嗄れる息、水に映る断崖、針の揺らぎ、の類を
切に希ったのだ、愛おしみ滴(しずく)となって、地に沁みたのだ
……なんという踏み迷い、だろう、蜜のようにほそい陽が
驢馬の鼻梁からしたたり落ち、黒い草のうえでふるえている
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