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Collection詩集 Ⅱ



北村真
北村真






























































































































詩集 
始祖鳥

北村 真
視点社 20008

病の人を看ながら、快復しつつあるのはむしろ看る側の
人間なのかもしれない、いくどもそう思った。……
貧しい言葉を紡ぎながら詩を書き続けることも、また、
時代の病から快復する営みなのかもしれない。(あとがきより)

 

   

   途中峠

 『途中』という地名なのだから
 ここでなくてもよい

 たとえば

 雲の影が
 北山杉に沿って まっすぐ滑り下りてくるあたり
 湖の風が 笹の道をすり抜けてゆくところ

 たとえば
 ゆるゆる曲がる坂道
 椅子に腰かける老父が見つめているあじさいの花びら
 取り戻すことも
 追い抜くこともできずに八月の薄い紫

 散り散りのためらいを
 歩き続ける身体がふりはらい

 足首にかかる自らの重さに立ち止まる時


 
花は
 それぞれの時間を待っているという
 途方もない静けさに
 あなたが
 そこで 出会うなら

 その場所を
 『途中』と 呼んでいいのだ





  深い井戸

 前線基地に軍秘を伝える途中
 密林で道に迷い
 恐怖と疲労で倒れそうになった時
 その村の人に助けられた

 深い井戸をのぞき込むように
 薄い目で
 父は戦場を語ったことがある

 時をかさねると
 戦場の体験さえ
 懐かしい物語になってしまうのか
 あるいは
 幼い子どものために父が選んだ説話だったのか

       *

 <アルマヘラの闇に浮かぶ
      小さな村のひとつの灯り>

       *

 手術後の発熱
 解毒剤の投与
 高いいびき
 不安定の波が押し寄せ連なる夜と夜
 父は二十五才の兵士になって
 戦場に舞い戻った

 『伏せろ!』
 『引き込まれる!』
 呷きながら
 父はベッドの柵を強く握りしめた

 病室の壁の影
 黒く滲む木立
 北上する救急車のサイレン
 戦闘服の足音

 頭部と左胸と尿道に管を差し込んだまま
 ジャングルを彷徨う
 兵士の銃のように身構え
 兵士の目のように怯え
 父のパジャマの背は
 汗でべっとりとぬれていた

       *

 <肉体の記憶は 物語をはみ出すから>

       *

 柵に絡む手を
 小指からほどきながら
 僕は
 いくども戦場の父を抜き取ろうとした

 けれど 人の手に触れたくて
 だから かたく閉じていた
 戦場の 兵士の 拳

 あの夜 はじめて
 兵士の名を呼び
 あの夜 はじめて
 僕は
 父の名を呼んだ





   杭のある風景

 川の中に
 杭が
 突っ立っている

 廃線の跡の
 あるいは
 まだ見ぬ橋のために

 (あらゆる線は ひとつの点の連なりである)

 太い棒のてっぺんで
 柔らかい陽を浴び
 鳥が翼を休めている
 喉をグルグル鳴らし
 ときおり
 空の青さを震わせている

 (絶えることのない 真新しい風が・・・)

 杭のある風景を
 見蕩れている
 老いた人の その後ろ姿を
 今日も 写し撮ることはできなかった


 
そこで
 崩れるはずの風景が
 ふいに
 そこから
 動き始めるから

 カメラを構えた
 僕の足もとを
 激しく
 水が打ち続けている


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