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       Collection詩集 Ⅱ



中堂けいこ


















































































































詩集 
ホバリング

中堂けいこ
書肆山田 20108

川の上流のゆるやかに曲がるあたりで家々が失われる。けっし
て化石にはならない。アンモナイトを大理石の切断面に見つけ
てわたしは異議を申し立てる。その事を書くのではないと。
(「化石にはならない」より)

    

 

 

 ヒメジョオン

その遠い響き
ジョオオンと鳴く捨て犬
あるいは犬の名がジョオンだったかもしれない
彼らは次々と仔を孕み
産まれるはしから
菊科の顔と尻を見せる
まぎらわしい棒状の視線をかいくぐり
橋のようなところで
あちらからこちらへと
あやうい歩行を繰り返す
その肩口に雑な草の歌をのせて
ほろほろと付箋をこぼしている
そこいらで菊科の歌が繋がり
この虚位の惑星が
ムカシヨモギ属に侵食され
紫海に沈む日も近い
それでも根は
芯奥から折れ曲がり
遠吠えを響かせながら
昔ヨモギのさみしい種まで遡る
記憶とはなんだろう
ふいに匂う芳香体にひかれ
犬が背をこすりつける
再び体をねじり
菊の顔をみせる
足首もみせよ





  紅茶茶碗もしくは木石(もくせき)になる日

ほんの一瞬ひらかれるエウスタキオ腺 その細い通路の名を覚えている
内耳の気圧がもどり その呼び名 ちがうな パリッリッまたしても乾く音がして
母は終末などありはしないというが 窓枠を支える両腕から硝子板が膨らみはじめ
耐え切れずわたしは顔を背ける ここに促音が溢れ出し足で蹴りつける
これは何かの間違い ハンムラビ法典なんだか楔文字が石板に打ち込んで
書き付ける約束事は片っ端から傷跡なのだ 落ちるわけでもないのに空を支える
空耳ではないか 明るい午後の日差しを浴びて一つきりの紅茶茶碗が割れる
溢れる湯がテーブルを熱く覆う日


家族が土足で歩きまわる日 内部から壊れる 音源の見えない不安が襲いかかる
リルリル鳴り続けるシルバニアファミリーの小さな受話器だ 誰か出てあげて
これらは内部の隠したい罅割れだから せめてちいさな物語でも語っておくれ
甘いキャンディーを口に含み 生きる端っこなら言い習わした終末にもなるだろう
いつまでも片付かない部屋を土足で歩き回り 硝子の破片を踏みしめる
白い砂が円錐型に盛り上がりこれは何か これはワイングラスの成れの果てと
判別するまで テープが巻き戻りすべての創造物は壊れた姿からはじまるだろう
真新しい摩天楼が瓦礫に見える日


その日 わたしたちの自由時間の時間割りが破られる どうやら契約違反のようだ
水飴のアスファルトの路肩から小石がピシパシ爆ぜあがり わたしは門柱に摑まる
一本のドラシナがひとしきり揺らいで またたくうちに傾いだ家並みが揃いだす
後ろへ飛び去る男の影 断層が閉じてまっさらな白い道を後ろ歩きするのだろう
わたしの左眼が赤く出血するので目尻から 青っぽいワイングラスの足がのぞく
通りの向かいで誰かが叫んでいる 辺りの気圧が変わり鼓膜が膨らむのがわかる
飲み込まねばならない あの叫び声 巻き戻しの時間が切れてしまう
耳朶をひっぱり木石になる日






  漕ぎ歌「と」

ふたとせ 渉る 鳥のまほろしも形をぬけて
こいで負う ろのへ ろのへ、とうたう妹背
追い「ろ」の「へ」の「くち」へめぐりゆく
くれないのなかそらを暦にみては ついの道
ゆきに いつしか鳥の形はまほろしをわすれ
る その目のかたとりに羅針盤さえ磁力をた
がえて ふたとせの毛の多いものたちが ふ
つき つちのえ 無月と名のらせては かさ
さぎの羽摶き橋をわたる 速度計を漕ぎくち
にぬらし おう瀬のなぎ ろのへ ろのへ、
と 船主を問う 雨やらいの農夫よ 帆布を
たかくあおれ 鶕の黒はね 無数の鳥影が闇
をかたとる しん としずもる川面に 禁札

ながれよる「ろ」の「へ」の「くち」へ な
きそらの橋から 鳥目をのぞきみよ わたし
らの巣を出で 重力のことわりをじっとまつ
疱瘡の子らの土塊は身がわりにもなろう は
るかな半島の懐妊をのぞみ ふたたびのくら
い轍をよこぎり ひそかな新月を漕ぎぬけば
わたしらの帆先がふいに灯る 巣かけからは
いきもののけはい消して 妹も背もふかく眠
れ よいぬむりが待つのはほんとうだ「と」
西の巣から呼びかける声がする つばさ折る
闇のかたとり ろのへ、 対岸の「と」の邑






  赤い毬
まり)


 トロッコ列車は木の枝を払いながら、山岨をぬうように走る。
列車のすぐ脇を赤い毬が跳ねている。放物線を描いて列車の前
になり後になり、あれはわたしの毬だ。


「大事におしよ」
 祖母がわたしにしゃがみかけ手に持たせた。半透明の、手の
ひらに吸いつく滑らかさ。わたしが大きくなれば、毬は大きく
なり色も濃くなるという。
「どんな色になるかねぇ」


 軒先で毬が浮いている。大勢の手が差し出され毬を捕らえよ
うとしている。あちこちから伸びる手指が軒下を覆い、毬を囲
うようにしているのだが、毬はふわふわと樋や屋根瓦の方へ飛
んだり跳ねたりする。皆がなにか叫び続けている。


 弟が産まれた頃のこと。台所の水屋の上に二つのミルク缶が
置いてあって、一つは赤い地に女の子がミルク缶を胸に抱えて
いる図柄。もう一つは仔牛の顔。両耳の間に向日葵を付けてい
る。
 牛と女の子は並んでわたしを見下ろす。
 女の子の抱える缶の図の中では、また女の子が缶を抱え、そ
の缶の中にもまた女の子がいる。
 金髪のお下げ髪をして、白い襟の服を着て。
 どこまでも続く女の子達はどんどん小さくなり、やがてあた
りに甘い湿っぽい匂いがただよう。
 水屋の上が急に暗くなる。


 弟は毬を体の周りで弾ませ、わたしにはその毬の色がよくわ
からないのだが、弾むうちにどんどん濃い色に染まり、弟はい
つの間にか黒い詰襟姿で、やがて揃いの背広を着ていたりする。


 トロッコ列車は相変わらず山裾を這い、赤い毬はわたしの膝
や足元をてむてむと跳ねている。向かいの席の男が奇妙な熱心
さで、毬を手放すなと、わたしを叱る。
 なぜ毬がみえるのか。
 周囲の乗客がいっせいにわたしを振り向く。

 





  のの価値

おそらく 手の上でころがす遊びでしょう こんな手玉がいい
の? と手渡す 彫り物師はこの皮膚にかんぷなく還付もあり
彫りすすむ 真皮のうわべ 丸さはいいの しろぬきをこの手
玉に封じる いたみやかゆみやこそばゆや 玉ゆらのシュート
すれば わたしは打ち返しもしよう 上下左右の拾遺はすでに
時候です 審判のおごそかな宣言のもと のの字が付加される

  *

「な」行の仕業をおもえば
わたしたちは一枚の皮袋にすぎない
やわらかく歯裏を舌で跳ね上げる
そのとき鼻腔を駆け抜けるなにものかに
歯も舌もおののくだろう
一枚の皮の地続きであることを思い知るや
文言はちりぢりに四散する
母音こそ子を疑え
お、お、の、の、
漂流する吐息を拾い集め
語尾にあればやわらかな着地をうながし
黙読するわたしの胸郭にも響くだろう
あなたはのっぺりと左を向いている

  *

なんだかつまりませんの いまだ孵らぬさなぎゆえ 母の憂い
はらせば ゆえなく 蝶のはねく ひらぶるも かの世の条理
ともうなずけ 名付け おや 親たまゆら あられあるのの字


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