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       Collection詩集 U


中堂けいこ

中堂けいこ


















































































詩集 
円庭

中堂けいこ
土曜美術社出版販売 200312

祖母がわたしに云った
ケイコやコトリに気ぃつけよし
飴玉人形で連れていかれる
見世物小屋に売られていかれる (「ことりこ」より)
 


 

   羽化(うか)

  <あなたの詩を読んでいると
  わたしの足元から繭の糸がほどけてゆく>
 赤い服を着ていた
 まるで蛾だな

 間口四十歩 奥行き十一歩の部屋
 パラマウントベッドに長兄
(あに)
 身を涅槃の形に横たえて
 体の出口を塞がれていた
 入り口は自由さ
 まるで蛾だな
 それから昨日の夜の出来事を話し始める
 この部屋は奴らの通り路なんだ
 消灯のあと いきなり大きな影の男が部屋に入ってきた
 逆光で顔は見えない おお空気がとどまっている と枕元
 の窓を大きく空けたよ 風が通り抜けて寒かったが黙って
 いた しばらくすると跫音だけの白衣の女が入ってきたの
 だ 空気がながれすぎると云って今度は窓を閉めた
 夥しい数の人がこの部屋に入り 同じ数だけ出ていく
 オレは迷わないよ

 窓の外に竹薮が見えた
 笹葉に日溜りができて
 そこだけ白く光る
 ほどけた糸が迷路を作り
 わたしの足元が暗く翳る

 蛾が
 いる

 羽化せねば……





   円庭

 
 きりん草

 細長い畝だ
 子供が虫かごをたすきにかけ
 捕虫網をふっている
 頭につば広帽が見える
 庭の隅々に陽炎がゆらぐと
 畝の黄色が濃くなる
 子供はすでに網をひとふりし
 地面に押さえつけていた
 あれはきりん草だ


  蔓バラ

 朝陽が塀で遮られている
 植え込みに男の気配がした
 空き缶に蟻巻を集めているのだ
 幽かな音が聞きとれる
 子供がアーチ型に巻きついた
 赤い花花をくぐりぬけ
 祖父の名を呼ぶ
 近寄るはしから背が伸びていく
 いつの間にか詰襟の黒服を着ていた
 蔓バラからわたしを指差している
 祖父も振り返る
 陽が高まり影が消えた


  板舟アリ

 ンオオン
 ンオオン
 深夜 呼び声がして
 わたしは思い出す
 闇の堀をわたす板舟
 オホキミヨミガエリ
 夜空の円周から
 ンオオン
 ンオオン
 子供らの列が登る
 古い鍵穴から呼ぶ声
 あれは夜の子供だ
 朝に目覚めれば
 忘れ去る円庭の宴
 今夜ふかぶかと
 眠る子ら


              
―「円庭」連作より一部を掲載―





   青島(ちんたおの椅子

 パテで填(は)め込まれた
 窓ガラスを越して
 早春の光が波状に差し込む
 (椅子を探して欲しいの
 漆喰の壁に背を保たせて
 伯母がぽつりと云う

 阿梅
(あーめい)、阿梅、……
 わたしは部屋から出て
 暗い廊下を伝いながら
 阿媽
(あま)の名を呼び続けた

 はい 五歳まで言葉が出ませんでした
 阿媽に育てられたからでしょうか
 青島の租界地で生まれ一九三〇年内地に帰りましたのです
 今でもはっきりと思い出すことができます

 「エミコサン幼稚園イキマショ」
 柔らかい手が差し伸べられ
 わたしの両手を持ち上げる
 園の庭は果てしなく広く乾いていた
 「ボウチャン(兄)ハ オイタガスギテ
 炭小屋デオシオキデスヨ」
 何時ものことだったが
 わたしの座る椅子は
 白いペンキが幾重にも塗られ
 丸くて艶やかな手触りがして
 ところどころ剥げかけてはいたけど
 それに座っていると
 阿梅の迎えを待つことができた
 いつまでもずっと

 (また夏が来るわ
 (椅子を探して

 暗すぎて良く見えない
 気配だけが残り
 残した人に辿り着けないでいる
 無口な子が
 槐
(えんじゅ)の黄色い花の下で
 座っている





   エンジェルバード

 その子はまだ名を持たなかった
 傷ついた小鳥のようであった
 北千里国立循環器病センター一階中央エレベーター
 その子はベビーベッドの上 三人の医師に付き添われ
 一人はボンベを曳き一人は口元のチューブを押さえ
 一人はベッドを押して乗り込んできた
 ほぼ満員状態となり その子の母親らしいメリーズの

 袋を提げた若い女性が取り残され扉が閉まる

 上昇するエレベーター内に
 石鹸の匂いと新生児の羊水をおもわせる
 潮の匂いが充満した
 乗り合わせたわたしたちはその子から眼を逸らし
 息を詰め
 点灯していく文字盤を見つめていた
 その子は白い鳥のようであった
 小刻みな息と
 時折しゃくり上げるような痙攣を繰り返した
 小さな鼓動が耳元を打った

 三人の医師とわたしたち以外の
 誰かが居た

 一年たてば歩くだろう 七年たてば
 ランドセルを背負うだろう
 羊飼いの夢を見るだろう
 海のようなホブドの草原で
 父と並んで羊の群を数えるだろう
 あるいはメトロポリタン美術館の地下に眠る
 ファラオの財宝を奪いにゆこう
 プレステのニューバージョンが出るよ
 惑星の大怪獣ジャグディとも戦わねばならない

 乗り合わせたわたしたちは
 借り物の悲しみの中で
 祈り続けた
 その祈りの 集まりの
 生きよという
 守られよという
 大きな翼が
 その子の上に天蓋のように覆い被さり
 その子の もはや意識として
 浮き上がりそうな命の上に
 覆い被さる
 誰かが
 居た

 四階でエレベーターが開き
 その子と三人の医師が降りていく

 中庭に白木蓮が咲いている


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