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       Collection詩集 U


松川穂波
松川穂波1


































































詩集 
バラの熱(ほとり)

松川穂波
白地社 199910

 断崖へ 近づいて行く
 配達人のない手紙のために
 私が
 一行の速達便になって   (「十二ヶ月の岬」より)



   月

 
欠けているのではない
 満ちているのではない
 夜ごとの空を すべってきた
 夜ごとの姿のままに
 指さされては
 深くひび割れ
 みつめられれば
 光をこぼして
 おしかえす
 どんな年代記もなく
 誰の貨幣でもなく
 むしろ
 夜ごとの空に
 かたぶく耳輪

 その姿の消えた夜は
 至高の空に 打ちあげられ
 もっとも輝いて
 夢の軌道をめぐる





   バラの熱
(ほとり)

 バラよ 荒ぶる花
 痛ましい祝祭を
 重なるはなびらのうちに
 隠している
 一枚の花弁に
 千の馥郁
 一本のトゲは
 千の発熱
 万のまなざしをはじいて
 しかし 刻々の腐乱のかがやきよ

 
ひとひら ひとひら
 虚空を打って
 散ってゆく
 そのかろやかな
 落魄にさえ
 はじかれる
 まなざしという
 哀しい肉体
 生涯一度の
 まぐわいを求め
 祝祭から 祝祭へ
 痛みから 痛みへの
 はかない流譚
 極まれば
 千の隠喩を
 みずから
 はじいて
 荒ぶる沈黙となす




 
大風の吹く土曜日がきたら
 市場へバラを買いに行こう
 肉屋と靴屋にはさまれた
 古い花屋へ
 あかいバラを
 買いに行こう
 大風の日には痛点だらけの
 私の皮膚だ
 微細な毛穴を抜けて行く
 苦い記憶の風なのだ
 びゅるびゅると 虚言をはやし
 さわさわと 借財をかきたて
 市場の暗がりへ消えてゆく
 悪霊のすばやい身震いなのだ


 
大風の吹く土曜日がきたら
 とりわけ
 市場へでかけねばならぬ
 肉屋と靴屋にはさまれた
 古い花屋の
 あかいバラ
 私には わかる
 私だけが わかるのだ
 花首を賭けて
 せいいっぱいの
 荒みを賭けて
 風をこばんでいる孤独
 痛点だらけのやわらかなあかい皮膚
 かぐわしい一瞥で
 えらびあうよ
 バラと わたし
 同じ角度で
 傾いて



 
バラをかざるのではない
 バラでかざるのでもない
 私を
 バラにするために
 バラは やってきた
 切られ
 積まれ
 運ばれ
 神殿をつくる
 木のように
 石のように
 どこまでが
 石
 木
 バラ
 祈りか


 
バラ
 開いてゆく花びら
 バラ
 反り返る花びら
 じりじりはぜて
 ふりむこうとする
 バラの後ろには
 バラの知らない闇があるだけ
 こわいものが 見たいのね
 花の女王も



 
バラ
 貧しい私の部屋
 部屋のほとりに
 淵がある
 一日が 流れ込む
 パンのくずや ののしりや
 硬貨の音
 わけのわからない滴みたいなもの
 バラから はるかに遠いもの
 深くめぐって
 また
 バラに戻るもの

 バラ
 貧しい私の部屋
 バラのほとりの
 淵でねむる
 淵を はさんで
 根を結び合い
 蔓で呼び交わし
 つぼみをゆらして
 ねむりあう
 ときどき
 いびきをかいたりする
 私と
 バラと




   石 その一

 河原に来たら
 かろんと
 乾いた河原に来たら
 手当たり次第
 石を投げる
 河原のむこう
 しゃくしゃく燃える夕焼けに
 夕焼けほどの熱さになって
 石を投げる
 丸い石 白い石 軽い石
 投げても 投げても
 石の中
 石
 こつんと消える

 そこで
 笑い吹き出す 河原
 笑いひしめく 河原
 かろんと 乾いた河原

 水は ひそひそ流れている
 何やら うわさしている

 石を投げる
 投げつける
 投げつづける
 河原のむこうの夕闇に
 投げても
 投げても
 石
 石
 石
 ほんのり白く 咲いている

 ずたずた石を踏んで去る
 静まって
 静まって
 かろんと 澄んだ河原


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