
詩集 タイフーン
坂東里美
あざみ書房 2005年9月月
先人の思考の角度は、… …生きる身体の五感に近いところに降り積もって
いったようだ。解体されたパーツを現在の新しい文脈の中にコラージュして
いくと、詩の中で奇妙な動物が深呼吸したりもした。(あとがきより)
卒業式
雨上がりの朝だ 湿った土から けたたましいサイレンが鳴った後
の漠とした耳鳴り ひな人形の台座の畳表の匂い 桜の木の灰色の
幹の虫こぶの濡れた表皮のむず痒い舌 信号は黄色 横断歩道の白
線が歪む クリック音 立ち上がる老人のズボンのたるみが流れて
側溝の水草に絡まる泡 「さもなければ と口の中の粘るビター・
チョコレートの包み紙の不条理な裂け目 ゴミ箱は投てきを避け
柱時計の振り子が文字盤に円を描く秒針に嫉妬するとき アマリリ
スの水彩画の虫食いの額縁が帰化しようとする 3年5組 起立。
美術館の午後
ローズ・セラヴィと会ったのは
いちょう並木の下を歩くと
踏みつぶされたギンナンの異臭が
青空を挑発する午後
美術館の階段を降りてくるローズ・セラヴィの
傾斜する心の
一瞬ごとの痕跡が連続コマ送りされ
目の前を通りすぎていく
後ろ姿を追いかけるが
トイレの前で見失う
トイレにはサイン入りの便器があり
汚水が泉のように湧き
折れた腕の女神が現われ
金のシャベル
銀のシャベル
黒のシャネル
あなたの失くしたものは
どれ?
と尋問する
ローズ・セラヴィ! と答えると
女神はニコリともせず
手洗いの鏡に入り込み
縊死体のように浮かんで
眠ったふりをするつもり
ギンナンの異臭が靴底から立ちのぼってくる
その腐った外皮を踏みつぶせ!
鳥食う虫 人食う虫
点子angel
母鳥の羽根の下で
ひな鳥たちは安らかに眠る
母から子へと 羽根づたいに
ハジラミの点子は舞い降りる
無償の愛をこの世に告げるため
復習revenge
英語の教科書の挿絵から
チェシャ猫を引きずり降ろし
頬ずりし 羽交い絞めして
逆さ吊りして遊んだ夜
ぶつぶつと赤い斑点
チェシャネコノノミに食される
私の柔らかなふくらはぎ
昇点ascension
山嶺は銀色に輝いて
死んだ老婆の魂は山へ去る
僧侶の読経が響く
老婆の抜け殻は刻まれて別の命へ施される
ハゲワシたちがあまた集まり啄ばんで
やがて空へ向かって大きく羽ばたく
その暖かな羽毛に
つかまる点子
―「鳥食う虫 人食う虫」連作より一部を掲載―
夏の樹についての錯誤
*
目の前に人差し指を一本たてて
右目でウインク 次は左目でウインク
人差し指はズレて動いて 微妙な角度で世界はズレる
人間の左右の目の その距離の分だけ
あなた 窓 夏木立 ズレる
*
緑の葉っぱが無数に重なり合う一枚の絵が差し出され
この絵のもっと先のところに焦点を合わせて ぼんやり見てごらん
しばらくすると 隠されていた
濃い緑の葉をたっぷり蓄えた夏の大樹が
妙にリアルな三次元空間に浮かんで見えた
冷たい温度で
*
むっとするような深い夏の樹を あなたと見に行きたい
*
「完全な空間」を仮想した人間の目の
曖昧について 考えながら
電子体温計で計れない
袋とじの内側の熱について思っている
無数の昆虫が もぞもぞ湧き上がる皮膚 夏の樹
*
サクサク 音がズレながら重なる 蒸散 蒸散
蒸れる腐葉土の臭い
*
驟雨!
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