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       Collection詩集 Ⅱ




寺岡良信
寺岡良信2






























































































































詩集 
焚刑

寺岡良信
まろうど社 20094

わたしは無神論者ですから
冥府も 乗る舟も ありません
凩の沖に 灰色の父を棄てた日以来   (「火事」より)


 

    裁き

 
裁きはいつも夜明けに宣告された

 闖入者の白い指先に
 眠りの扉の
 蝶番が叫び
 兵士は輪郭のない顔で嗤って
 姦淫者はどこだ
 私は女を背中に隠し
 母の嗚咽は
 冷たい肺の断層を
 金縛りの軋みで満たす

 裁きはいつも夜明けに宣告された

 海は請ふ
 ふたたびまどろみに帰らせてくれ
 だが銛はいつも季節の急所を逸れ
 刑吏たちは六月の浜辺を引き揚げてゆく
 今日はマグダラのマリアの日
 海が攫はうとして果たせないものの温もりよ

 浜辺は波の
 助走ばかりを
 苦しく繰り返し
 風景だけが
 目覚めから
 置き去りにされる




   彫物

 彫物は立派で たえず 風の青い声がした
 身体髪膚これを父母に受く
 毀損せざるは孝の初めと
 噛煙草ひと噛み
 低吟すれば
 波はしきりに舷側を洗ひ
 ゴーガンの女の 乳房が笑ふ

 赤道祭の話をしてよ ぢいちやん

 おれはいつも海賊役で
 白刃一閃 稲妻もろとも斬られるのさ
 そしたら物凄いスコールが来てね
 金塊は洪水が掻攫ひ
 今ごろは
 百尋千尋の水底に
 鼾立てて眠つてゐるよ

 探しに行かうよ ぢいちやん
 夕陽の指先を逃れて

 怖い 怖い あすこは
 一攫千金のつもりが
 居続け 呑みつづけ
 ミイラ取りまでミイラになり
 おれたちは全員囚はれの身 残留部隊

 蛸壺の空に月が出たね

 ああ おれの船が通る
 水夫たちが手鼻をかむと
 甲板に秋が来るんだ

 ――親不孝者めが
 窪んだ眼窩と鼻孔から
 鹹いものが溢れだし
 色褪せた彫物の手が 最期に
 敬礼のしぐさをした


          ◇鹹 原文は「塩」の旧字と鹹の二字





   円座

 三々五々 人びとは集まつてきて円座を組んだ
 森の落葉の 夜のほとりに

 宴は終始もの憂げだつたが
 森番は日誌に
 快晴 満月と記した

 悔恨と幸福を等分にゆだね
 背が語り合ふ腐葉土の温もり
 父はけふ傷病兵となつて
 この森に還つてきた
 空き部屋ばかりの脳髄に
 月光はさまよふ

 こよひ死者たちが身にまとふ火照り
 いま一度 かの者の火宅を蝕み
 冷えゆく月の炎よ

 やがて それは
 盲ひた人の泳ぐてのひらのやうに
 夜の出口をまさぐり
 樺の幹に
 青い酒精をとどけた





   車軸

 夕暮れを逃れゆく驟雨も
 跳ね橋をくぐる引き潮も
 市場の雑踏のあとに忽然とあらはれる
 盛り場の女の嬌声も
 いつも わたしには
 この空隙を透かしてしか聴こえてこない

 それは わたしの耳だ

 季節の後ろ姿がつめたい鏡になり
 蒼ざめた空の身震ひに落魄を舞ふ落葉も
 寒さうな女の媚態さへ
 わたしは
 この空隙を透かしてしか見られない

 高々と聳える車輪に
 車軸と車軸が切り取る扇形の窓よ
 それが わたしの目だ

 茨だけが群生する貧しい丘に
 叫びだしたいやうな夕映えがわたしのいつさいを闇にしづめ

 父を黄泉路に送りこむ導代わりの灯がまだ揺れやまぬとき
 あかつきに湧き出す泉を待たず
 わたしはこころを裸足にして出奔した

 そのとき わたしは決意したのだ
 匠は寡黙であらねばならないといふ掟を
 父の戒めのままに
 低く 重く
 生涯にわたつて守りつづけるだらうわたしの背は
 花束を拒否する無愛想な陶器のやうに
 たれの微笑をも容れないことを

 わたしのこころに向かひ
 侏儒よと嘲る者がゐたとしても
 わたしには ひりひりするこの世界を遮蔽する蔭が欲しかつた
 跳ね橋をくぐる引き潮のざわめきにも
 蒼ざめた空の身震ひに落魄を舞ふ
 蹌踉たる落葉の歩みにも

 しかし
 今日は
 車軸と車軸との空隙を漏れて燃える夕空の 何といふまばゆさ
 火のいろの洪水よ

 車輪の頂上を鋸で挽けば
 わたしは溺れて
 漂ふだらうか
 こころは溺れて
 漂ふだらうか

 それは幸福な死者たちとの黙契
 夕雲をいざなふ地動説



 

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