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       Collection詩集 Ⅱ


寺岡良信

寺岡良信1


















































































詩集 
ヴォカリーズ

寺岡良信
まろうど社 200611

近代詩とも現代詩ともつかぬものを時代錯誤だと笑わ
れそうな歴史的仮名遣いに執着しながら綴ってきた
(あとがきより)
 



  ヴォカリーズ――或ひは渡海記

 蒼い重力がゆたかに歪曲する六月の涯
 沖では無数の伝説が投身する
 双眸を見ひらいたまま
 少年は補陀落渡海記に聞きいった

 だが落日はこの日も右舷に来て
 霊魂たちの国は近い
 水先案内人が操る舟の
 吃水は悩ましくカーヴし
 群棲するフジ壺は
 封印された霊魂たちの告解
 たれも語らず
 艪の影と
 もはや希臘語でも
 人語でさへなくなつた舟歌だけが
 月明かりを恋ふ
 それは霊魂たちの国の言葉
 暝い波のヴォカリーズ

 風がひかりを磨き
 蒼い重力がゆたかに歪曲する六月の涯よ
 投身した伝説は無数によみがへり
 少年の耳に筆記される
 父の渡海記もまた





  喘鳴

 父にはじめて逆らつた日 私の息は獣のように生臭く
 固めた拳は石榴のやうに割れやうとしていた
 私は忘れない 父の瞳の暗渠にひろがつたその波を忘れない
 白く荒く波打ち際を縫ひとる針の鹹さに堪へ
 いのち烈しく愛することの寂しさに堪へ
 いのちから烈しく背かれる寂しさに堪へ
 波の滅びに顕はれる底知れぬ淵の蒼古としたこころの鏡に
 なほも容姿をつくろはねばならなかつたものは何か
 老いてしまつた父 盲ひゆく落日よ
 告ぐべき言葉を沈黙で鎧つたまま波がひたすらおのれ自身を砕くとき
 今日こよひ月は凍つた雫となるのだ
 ああ 父といふ空洞を冷たくか優しくか月は内側から照らす滴り
 さうだ 私にははつきりと聴こえてくる
 あかつきの引力を駆けくだる苦しい助走にも似た波の喘ぎが





  投錨

 白鳥は歌った
 星冷えは悲しく喉を射る蒼い釣り針だと
 暁闇は白磁のつめたさに泣き
 龜裂といふ龜裂から
 釉薬のやうな夜明けが
 滲みだしてくる

 星の凱歌が遠ざかりゆくプールに
 冷え冷えと銃口をひらいてゐるものよ
 石組みのアーチの高みで
 噴水は玲瓏の影をけふも曳いたが
 石工たちの聚落はいつしか波に砕かれ
 もはやここにはない

 こよひは白夜
 銀色に濡れそぼつ母の国の幸福を
 優しく毀つ波のやうに
 おまへは拒否し
 旅立つのだ

 村では今朝
 かすかに曳航の気配がして
 何かが眠りに投錨する

 たとへば
 長い鎖をもつ秋が



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