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             Collection詩集 U



永井ますみ
永井ますみ2


















































































































詩集 
弥生の昔の物語

永井ますみ
土曜美術社出版販売 20088

紐でくくる臍の緒
腰の力が抜けて座り込むわぁに
もっと歩けという
魔はこの気の緩みに入り込むのだけぇ
初めて見る 母さんの怖い顔  (「産み落とす」より)
 

 
 

    機織り

 光の中で蜘蛛が繕い物をしている
 ゆさん ゆさん と綱を揺らして
 朝露を落とす

 機を小屋から外に出す
 繭のにいさんの下げて来なった機と糸
 向こう板に縦糸を巻き
 小屋の傍らの大きな樹にくくる
 もう片方の糸の端を結んだ糸を
 腰にくくる

 後ろからわぁの腕をつかみ
 横糸を巻いた小さな棒を
 右から左 スーッと入れてトントン
 左から右 スーッと入れてトントン
 力が同じに渡るようになぁ
 耳元で唱えるように教えてくれた
 にいさんの息
 こそばいよ

 糸のなくなる頃
 きっと繭のにいさんは来る
 尾根を駆けてくる
 目はいつでも見たがっている
 髪が伸びてふたつに結い上げているその姿
 もうできたかいや の声を
 わぁの思った通りの仕上がりだがな
 里の子等にも負けとらんで
 という声を
 そうして心は
 いつの間にか浮いている

 蜘蛛は巣の綱をきれいに整えて
 隅っこにしゃがみ込んでいる
 夕陽がそれをくぐる





   幸せな夜

 腹がおおきくなって
 こりこりと固いものが蹴り上げてくる
 これは足
 母さんが言った
 生まれたらじぶんの足が要るだけぇ

 足だってぇ
 繭のにいさんに教えてあげる
 うわぁ跳ねとるがな
 がっしりしたにいさんの掌
 そうっと触ってね

 冬の始まる前に拾ってきた
 枯れ木がゆっくりくすぶって
 掘立柱の小屋の
 藁くずの
 床のなか
 繭のにいさんが泊まっていく

 あおの邑
(むら)へ言った話や
 砂鉄を煮ている邑
(むら)の話
 知らない言葉を話す人だちのこと
 春には

 親さまの館を建て替えて
 見張り台つきにするそうな
 機織りや壺作りの小屋も近くに建てて
 そこで働く人は
 できあがった小屋も貰えるんだって
 眠りながら聞いている

 外は寒そうな風の音がしているけれど
 わぁはあったかい
 腹の中には元気な赤ん坊
 背中には繭のにいさんの寝息





   山をおりる

 親さまの館の近くに引っ越さいや
 そこには海がすぐ傍へ寄せていて貝や魚が採り放題
 女だちには機織りの仕事が与えられ
 男だちには田圃や道を拓く仕事がある
 あんたが言うなら腹の子 共々

 この尾根筋にも人が増えて
 焼き畑の持ち分は減るし山の栗もどんぐりも不足がち
 母さんの沈んだ声音
 よそもんのあんたに風があたるなら
 出て行くよ 腹の子 共々
 恨んでなんかいない
 あんたと一緒に暮らせるんだもん

 裏の婆さまのどんぐりにも挨拶していこう
 手を地べたにぺったり触れ合わせると
 どんぐりは葉裏をみせてカラカラ揺れる
 ここはわぁの里だ
 いつでも帰って来ないや
 婆さまがちょこんと坐って笑っている気がする

 またたびの蔓で
 ていねいに織った背負籠
(しょいこ)を背に
 あんたは軽々あこを入れて山を降りる

 待ってぇ





   からむし織り

 季節が一巡りする頃
 おばさんに連れられて川へ行く
 数人の女だちが それぞれに陣取って
 昨日のうちに運ばれ
 川水に浸された からむしの
 皮を剥いでいる
 わぁの身丈を越す長さだ
 芯じゃなくて皮が要るだで 丁寧にな
 手一杯になったら
 それで一括りして
 こっちの溜りに入れるだぁが

 そっちは陽があたるけぇ
 こっちに来ない
 おばさんは時折り背伸びをする
 兄
(あん)ちゃんになったあこが
 小さな手で
 木の切り口から裂き目をこしらえる
 兄
(あん)ちゃん なかなか手付きがええで

 
褒められてむきになっている赤いほっぺ

 親さまに織り物をと言われたのに
 山繭織りの道具は小屋に置いたままだ
 おばさんに川に連れてこられて
 木の皮を剥いで
 もうじき陽が沈もうとしている

 終
(しま)わいや と誰からともなく声がして
 立ちあがった女だちの前に
 又もや
 ズサッ
 青々とした
 からむしの木の束が投げ出される





  (終章)

 兄
(あん)ちゃんはキビのクニを目指して
 旅立ってしまった
 弟はイズモのクニを目指して
 行ってしまった
 女の子とわぁだちはこの邑
(むら)に残されて
 その日の命を繋いでいる

 土地を切り拓く力を無くした男は
 昔を思い出して繭を採りに林に入る
 戦
(いくさ)があって
 人を殺し殺されても
 籠には一杯の緑の山繭

 冷たい水に浸かって
 からむしの皮を剥ぐ仕事が
 もうできん歳になったわぁも
 昔を思い出して
 機織りをしてみようか

 煤けた屋根裏から取り出す山繭織りの道具
 向こう板に縦糸を巻き
 小屋の隅の柱にくくる
 もう片方の糸の端を結んだ板を
 腰にくくる
 薄暗いあかり採りから入る光の中で
 糸を巻いた杼
(ひ)をくぐらす
 右から左トントン
 左から右トントン
 何度も何度もくぐらす気の遠くなるような時間
 わぁだちも
 その時間をくぐってきたのだ
 ねえ あんた
 と振り返ったら
 もう爺さま顔をした
 繭のにいさんがそばにいる

 

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