
詩集 回転子
谷和幸
思潮社 2006年3月
落ちそうで落ちない思わせぶりな素振りをしている辛抱づよい回転子からの
イメージは鮮烈、なんとなく不気味なにおいさえただよわせて、運動と移動、
エネルギーを放出させながら、運動体はもとの状態、壜のなかでなにくわぬ
存在として静止する。(帯文より)
非知
未だに曲がり角を前に 何も無いのに口をモ
グモグ動かせて 羽虫の柱が立つように立つ
のがわたしだ 道はなめらかな動きで 橋を
越えて 水が湧き出るところにつながり 所
帯を持ち始めたうずくまる母親の背中から
見詰められるまなざしにたどり着く 水の中
に 屈折を伴って見られることで 小さな点
と点が子供のわたしに変成していくみたいだ
あの時母親が洗濯をする折れた体をして
深く沈めた手にあったものは何だろう 曲が
り角でやはりわたしは身動きできず 口の中
には何も無いのに モグモグと 欠けたモノが
回転子 1
壜の中でわたしたちは辛抱強い回転子だった
落ちそうで止まっている まさにその時間
は 一枚の葉っぱか 棚の上の砂糖壷 のよ
うに思わせ振りに見えてしまうから ブーン
となけなしの感情を使って 女の子やぼくた
ちは一つのどろどろの皮膚になって やさし
い母親の意識に近づいていた まさにその時
間はお話の始まりの時間に位置して ぐるぐ
る回されているみたい 壜の中はすっかり夜
なのに 鳥の形をした光を追って地下室を降
りると真昼の理髪店で 鏡の前にわたしたち
は座らされている といった具合で わたし
たちは全身が痒くなって 鏡の中でゼラチン
の性器の部分がプルプルと捩れている (ま
あ大変、病気に感染したのかしら?)でもお
母さん わたしたちは落ちそうで止まってい
る まさにその時間は 一枚の葉っぱか棚の
上の砂糖壷を辛抱強く繰り返しているのです
回転子 2
バス停にわたしたちは二つの傘を持って並ん
でいる 現れることがないあなたを待ってい
る わたしたちは男の子も女の子もそっくり
同じ顔 バスが着くたびに一人ずつ増えて行
儀よく列を作って ぐるぐる回っていた で
もあなたは次のまた次のバスにも乗っていな
い それもそのはずで その頃 あなたは暗
闇の部屋で蠅を追い家具に身体をぶつけてい
たのだから ( う )と声を漏らすあなた
( う )の後の開かれた沈黙 = 散文体の一
番敏感な膝に鉄釘を打ち込まれてあからさま
に苦悶するあなた だからバス停で待つわた
したちはそれと比べると試験紙に雨滴の痣を
つける程度に思われていた 小さな手や足を
ばらばらに切断するなんて なんでもないぐ
らいにあなたの( う )の文体でわたしたち
は ( う )でずぶ濡れになったのかって?
回転子 12
すでに明日が始まっているならば 壜の中の
わたしたちはもう父や母から呼び掛けられる
こともない と思うのです 「明日」と「明
日」が生起するシナプスの現場では わたし
たちはいつも引き裂かれていて 硬直するの
ですから さらに体温が低下する場所が必要
なのです このままではお母さんの胸の中の
さわさわと揺れる黄金の草になってしまいそ
うです お父さんが発注した七つの金属の箱
は幸か不幸かまだ届きません わたしたちが
ぴったりと収まるステンレスの容器になるで
しょう 其の時が来て 目を覚ますことが無
くても そっくりなわたしたちがまったく同
じようにいるはずです 父や母より早く「明
日」が生起する現場に立ち会ったとしたなら
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