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       Collection詩集 U


冨上芳秀



















































































詩集 
祝福の城

冨上芳秀
詩遊社 2011年7月

風が吹いてくると
草原の小さな家で
知らない人と住んでいる
自分のことが思われる    (「草原の家より)





   言葉

市場の八百屋で
積み上げられた大根と水菜の間に
よく肥えた
青々とした言葉が売られていた
珍しい、こんな豊かな言葉を
育てている人がいたなんて
私はうれしくて
それを三束買ってきて
台所の糠床に漬けておいた
三日経つと言葉はすっかり漬かって
おいしそうになっていたので
醤油をかけて
お茶づけでさらさらと食べた
噛むたびに
言葉は勝手なことを喋り始めたが
私は無視してすっかり食べてしまった
ほどよく発酵した言葉ほど
おいしいものはない





  うどん鉢の底の女

冬の寒い夜
場末のさびしい食堂で
素うどんを食べていた
たっぷりと七味をかけて
青ねぎの香りをかぎながら
長いうどんをつるつると
すすっていると
透明な出し汁の底の方に
ひとりの女がつるつると
うどんをすすっているのが見えた
にっこりと笑った愛嬌のある顔は
片時も忘れたことのない
昔の恋人だった
歯の片隅に見える青ねぎの切れ端も
昔、接吻したときの
かすかな匂いまで思い起こさせる
そうだった
こうして長いうどんを
両端から食べていって
最後は
お互いを食べつくしたくなるほど
愛し合っていたのだ
それにしても長いうどんだ
いつまでも距離が縮まらない
と、思った瞬間
うどんを噛み切ってしまった
一瞬、悲しそうな顔をして
湯気にかき消されるように
女の姿が消えた





  ノコギリの森

月夜の森の入り口に立って
誰かが幽霊の歌うような声で
ノコギリを鳴らしている
細い道を辿り
奥のほうに入っていくと
森の木々という木々には

西洋ノコギリが
風鈴みたいに吊り下げられて
シャリシャリと音を立てている
ギロギロと月光を跳ね返して
ノコギリが揺れる時
鋭い歯を剥き出しにして
狼がいっせいに遠吠えを上げる
そんな幼い夢を見ながら
少女がひとりベッドで
静かに眠っている
やがて、ふっくらと
肉付きの良い背中が割れて
翅が生えてくる
別の部屋で
父親の博士は
森の中のノコギリの影響を
計算するために
複雑な数式を解いていた
娘は父親の知らない間に
飛ぶための成長を続け
父親は娘の知らない間に
老化し続け
いずれは森の湿った黒い土になる
娘は森の木々を越え
ふわりふわりと
明るい光の中で交尾する
錆びたノコギリが散乱する
森の黒い土の中に
娘は透明な白い卵を
びっしりと産むのだった





  青いカンガルー

男は寒い風の匂いがした
強い酒を飲みながら
警句のような言葉を吐いた
男は花を好んだ
旅を好んだ
書物を好んだ
時々
獣になって女を喰った
月の夜、血を流しながら
自らの肉を女に与える
バラモンであった
男は砂漠の盗人であった
時間を盗み
心を盗み
塩を盗んだ
男は銀河を逃げる
青いカンガルーであった
男の歩いた後には何もなかった
ただ無限の虚無と
さびしさだけが点点と落ちていた
ある日
突然、男は死んだ
誰も悲しむことはなかった
幽霊のような女がやってきて
荒れ野の風のように
細い声でうたった






  祝福の城

ゲートを潜ったとき
薬玉が割れて紙吹雪が降り注いだ
おめでとうございます
とうとう前人未到の境地に達せられました
と誰かが私を祝福する声が聞こえた
鳴りやまない歓声
だが、いったい何の騒ぎだと思ったとたん
あたりは静寂に包まれていた
誰もいない朽ち果てた城の前に
私は一人で立っていた
どこからか貧しい身なりの子供の一団が
私の周りに集まってきた
その中の年かさの少年が私に言った
おじいさん、こんなところまで来たのですね
かわいそうに
これをあげるから早く帰りなさい
私は少年の投げた小銭を拾いながら
ぶつぶつと口の中で不満を呟いた
帰れと言ったってどこに帰るのです

私はここを目指して歩いてきたのです
また紙吹雪が降り注いだ

おめでとうございます
とうとう前人未到の境地に達せられました
そのとたん古い城は崩れ落ちた

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