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Collection詩集 U


柴田三吉


















































































詩集 
非、あるいは

柴田三吉
ジャンクション・ハーベスト 200910

わたしとは 海にひとしい記憶です。いつか魚だったわ
たし ザザ虫や貝がらだったわたし。からだは生きてい
るそばから輪廻しているけれど どうやら魂だけは転生
しないらしいのです。 (「非、あるいは」より)



 

  ひよめき

 そのちいさな穴から
 まだこの世のものとも定まらぬ
 いのちが出入りしているのだという
 ひよひよ うすい膜をふるわせて
 いのちはときに
 たわいない擬態語で
 つかまえられる

 せまい道をくぐり抜ける
 胎児の頭骨は
 欠けた皿のように分かれている
 皿はじきにかみ合わされていくが
 ひたいの上 数センチのところにある
 その穴は 最後に残った
 ためらいなのだろう

 ためらいつつ
 頭骨は密閉される
 そのとき ひとは自分を閉じる
 自分というもののなかに閉じ込められる
 もう死ぬまで
 外へは出られない

     *

 死ぬまで外へ出られない。ひとはその容れもののなかで
 <
わたし >を育て < わたし >を殺してきた。ときに笑い
 声を響かせ 泣き声を響かせ 美しい音楽を響かせてき
 た。ぎざぎざの縫合線は 大むかし ばらばらになった
 大陸が ひとつところにかえってきたようだと いのち
 の仕組みの精巧さに わたしはうっとりしてしまう。

 光あふれる 蒼穹にくるまれた野。湿った土から取り返
 された 髑髏の山。白くかがやく塔のまん中に 数千の
 < わたし >の抜け殻がならべられている。頭には鈍器で
 うがたれた穴。その日 そこから だれかが引きずり出
 されていった跡。

 いのちが出ていった場所に
 触れてみれば
 ひよひよ
 ひよひよ
 指のあいだを
 風とも息ともつかぬものが
 吹き抜けていくのだ




  ノスタルジー

 ことばの化石を発掘した
 喉のように暗い洞窟の奥深く
 ハンマーで二つに割ると
 かすかにふくらみを持った
 母音と子音の連結断面が現われる
 発掘地 推定年代 ならびに日付を
 カードに記入する

 ことばの下の層に
 声の化石が埋まっていた
 自ら割れて響きはじめる声
 あわててケースを取り出したが遅かった
 産声に似たそれは一瞬 押さえた指をすり抜け
 空へ向かって飛び立った
 貴重な資料を逸失

 ヒヤシンスの球根の横
 一日の発掘品を並べ
 明かりを消して家路につく
 それがよきことばであれば球根は
 あしたの朝
 きらめく陽を浮けて
 小さな芽を出すはずだ




  そばがら

 知らず回転しているらしい。目覚めはいつも眩暈ととも
 にある。かたい枕を土塁にし ひたいをまん中にうずめ
 一晩にいくたび そのまわりをまわっているのか。

 あたまからまっ逆さま。一直線に眠りの穴へと落ちてい
 く。地上にぶつかりそうになり かろうじて尻尾をひる
 がえすのだが 世界のへりには鋭いエッジがあり 生疵
 が絶えない。取り残されたからだは 土塁にひたいを押
 しつけたまま二つの足をじたばたさせている。

 わたしから出ていったわたしが 朝にはまよわず戻って
 くる。眠りとはひどく身をそこなうものらしい。めざめ
 るときまって枕に血が滲んでいる。わたしが流したもの
 か 夢が流したものか 枕が流したものか きょうも判
 然としないのだが。

 空洞であるはずの たった一粒の殻にさえ まるで人生
 みたいに世間がつまっていたのかと ひたいは桜桃色に
 染まって恥じらうのである。





   硬度


 ――硬度とは、物が傷つくときの、抵抗の強さを示すもの。
   硬さのちがうものをこすり合わせたとき、一方は傷つかない。
   磁器の皿にナイフとフォークをあてても皿は傷つかない。
 
 日々 こすり合わされている
 やわらかいものは傷つくことをおそれ
 身をかたくしていく
 かたくなったものはさらに
 やわらかいものを傷つけていく

 紙やすりの硬度は9
 カッターナイフは55だという
 けれど ひとの成分はそれより
 ずっとやわらかい

 はかれないものがある
 ことばの硬度
 こころの硬度

 痛みを引き受けるもののいなくなった世界を
 わたしは想像できない
 世界は傷のなかにある

 傷つくためにうまれ
 生きていくものを わたしは
 ひとと呼んできた

 青いテーブルクロスの上に白磁の皿
 ナイフとフォーク
 朝露に濡れて
 熟れた心臓のようなトマトが
 そこにひとつ










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