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Collection詩集 U        



月村香
月村香


















































































詩集 
牛雪

月村 香
思潮社 200510

次々に子が生まれそれを区別するために
名をもぎとってくる きのうの果樹園より 朝に光を浴びて夏に暑
いと言う眠る前はすこおし夜風を感じていたい それが子守りうた
であるから (「きのうの果樹園」より)



  

  悲しいミニュンヌの夢

 
 三角巾をかぶって わたしはパンを焼いていた アメリカに四年
 暮らしてある雪の午前に見つけた フランスパンを バタをたっぷ
 りつけてほうばりたかった けれども悲しい匂いを求めて寂しく暮
 らしているのだった いそいで書きとめるための机はいつもダンボ
 ールの四隅の一角であった うっすらと埃のつもってなさそうなひ
 とすみに いつもどこかへやってしまうペンを探しているうち 風
 情なくお茶を入れる音がして ラジオからは外出禁止令のレベル3
 が発令されるのが聞こえた





  わたしはひとつの自然なのだから

 
 わたしはひとつの自然なのだから 木に登りたい時がある (と
 わたしはまた二十四個入りアイスコーヒーポットのダンボールの上
 で書き始めた) 何かむしゃくしゃしてひどく泣いたあとのティッ
 シュの山をゴミ箱に捨てにゆくのが耐えられないほど疲れた主婦で
 もある (アメリカのデパートの店員は口をそろえて主婦は一番い
 い仕事と言うのだ) けれどもまじめにまっしぐらにかけてきたわ
 たしはもう ちっとも若くなくて もう木に登れないのかもしれな
 い (そう思うとくやしくてまた涙が出てくる) わたしはひとつ
 の自然なのだから それでも木に登ってあの虹に向かってしゃぼん
 玉を吹きかけたい わたしの吐き出す空気の量が多すぎぬよう少な
 すぎぬよう ああできれば虹にさわってみたいと思う マシュマロ
 のようにちがいない めめの肌のように決まっている ああさわっ
 てみたいよ そしてちぎって口に入れてみたい そうして虹がそっ
 と手をのばして髪の毛をなでてくれないかしら わたしはひとつの
 自然なのだからそんなことを思っているうち おなかが減ったら
 手っ取り早く木に鳴るりんごをもぎとって (できればゴールデン
 デリシャスがいい) むしゃむしゃ食べるのだ けれどもわたしは
 自然であっても原始ではないから詩も読みたくなる そうしたら口
 に表すのも尊すぎるあの方の詩集を手にして読むのかしら 読むの
 かしら 読むのかしら




  牛雪

  わたしは今名前を変えて牛雪となる それはりっぱな雌の牛だ
 そう あなたは遠く遠くへ向かうのだ どうやったらそれだけ関節
 をぐりぐり回せるのか ここでわたしが牛になったというのに あ
 なたが一番好きないつもの「絵」 その構図のように配置してさあ
 でかけてゆくんだね わたしを置いてゆくんだね この牛を置いて
 ――この牛を置いて――
 (牛にはひたすら雪がつもる)悲しみのあまりもう歩みだせない牛
 がいる 子はいつか思うだろう「おかあ
……」 まるで死んでしま

 
った牛を見るように.わたしは牛雪という名前 わたしがあなたが
 たのおかあさん だけれど抱きしめくれるまで 雪は止まない
 牛はいつまでも待っている




  前髪をそろえためめ

 
 めめは髪を切られてシャンソンを聞きながら眠る 金曜の夜のこ
 とだった 子ども部屋にはエイビイシーシー(めめはアルファベッ
 トをそう呼んでいたから)の絵の子ども用のゴミ箱があったがそれ
 にわたしたちはゴミを入れなかった おもちゃであるそのゴミ箱を
 かかえるように言われてゴミ箱の口に小さなお顔をのせてめめがす
 わった わたしの前に 前髪を切りそろえようとお父さんとお母さ
 んが相談したから わたしがゆっくりと切ってやったのだ 部屋に
 はその晩はずっとシャンソンがかかり 短いおかっぱのめめが別に
 シャンソンを好きになってくれても構わないけれど できれば明る
 い童女の笑顔のままずっと童謡を口ずさんでいるような そんな未
 来の一場をわたしは夢見た なぜならわたしがめめの作ってくれる
 青いクレヨンのかぼちゃや赤いハートのクリップのプリンたちにま
 みれてくずれそうなおもちゃの山のほんの片隅で いつも詩を書く
 からだった 夜はいつもほんのひともりの灯りの中で詩を書くとか
 詩を読むとかなにかを書きつけていたかった 繰り返されるめめの
 おままごとのように楽しいことがそれであってほしいと 一日中め
 めを見ていて思うのだ やがてシャンソンが終わり部屋のほんとう
 に隅っこのわたしは 人生をやさしくなでた
 

  

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