製作年・製作国・監督名等は主に『キネマ旬報DB』データから引用していました。

Collection映画



●●
 

   

 
BARに火ともる頃 

BARに灯ともる頃

1989イタリア  エットーレ・スコラ
 
都会で成功した父と、田舎町で兵役中の一人息子の久しぶりの再会。
けれど、父子二人きりの一日は、当惑、喧嘩、仲直り、
また口論でギクシャク。
そんな父子をつなぐのは、貧しい機関士だった祖父の形見の懐中時計。
話題に詰まるたび、「いま何時?」

M・マストロヤンニとM・トロイージの絶妙な二人芝居。




 
裸足の1500マイル 

裸足の1500マイル

2002オーストラリア フィリップ・ノイス
 
隔離・同化政策のもとで家族から引き離され、寄宿舎に
強制収容された先住民アボリジニのハーフ、14歳のモリーは
妹と従妹を連れて脱走。
2400キロを逃げ歩く少女たちの機転やけなげさ、助ける白人女性、
匿ってくれた“教育”され白人の家でメイドとなったハーフの娘、
その実態。
仕事に忠実な保護局長の“正義”。

優秀な追跡人として白人に雇われているアボリジニの男が、
何度目かに少女たちを見失ったとき、つぶやく。
「あの子は頭がいい」







 画家と庭師と

画家と庭師とカンパーニュ

2007フランス ジャン・ベッケル
 
日頃のなにげない出会いでも、そのとき本当に必要としていたから
出会ったような気がする。
それが善きこと・人であればなおのこと、私の人生も
捨てたもんじゃないと。
この映画をみて、「ああ、やっぱりそうよね」

それにしても、フランス映画の大人の描き方は
どうしてこうもなんでもないのに素晴らしいのだろう。




 
ジャバウオッキー 

「ジャバウオッキー」その他の短編

チェコ ヤン・シュヴァンクマイエル
 
アニメと言われて、日本が誇るアニメのつもりでみたら、ひっくりかえる。
ひっくりかえっていたら詩が書ける(うそうそ)。
このシュヴァンクマイエルのアートアニメを、一つ二つパーツが飛んでも
ビクともしない骨密度の高さ、と評した人がいる。
むべなるかな。


<収録作品>・シュヴァルツェヴォルト氏とエドガル氏の最後のトリック 
・J.S.バッハG線上の幻想  ・家での静かな一日  ・庭園 
・オトラントの城  ・ジャバウオッキー




 
 スプレンドール

スプレンドール

1989イタリア/フランス  エットーレ・スコラ

もうひとつの 「ニュー・シネマ・パラダイス」
だそうであるが、有名なそちらは何度も手にとりながら結局、観ていない。
地味な(?)こちらに飛びついたのは、もちろん、
M・マストロヤンニと、M・トローイジだから。

アンゲロプロス作品のあの渋さとはうって変わって、
とてもおちゃめなマストロヤンニです。




 
 ドッグヴィル

ドッグヴィル

2003デンマーク ラース・フォン・トリアー
 
長いこと借りっぱなしで、どんな内容だったっけ? 
なにげなく観始めると、ラース・フォン・トリアーの名前が。ギャー!
 『ヨーロッパ』をみて以来できるだけ避けてきたのに、
なんでまた借りてしまったんだろう。
と、十分に構えつつも、暗い舞台に白線を描いただけで道や家を表し、
そのまま始まっている。…なんなの?
と思っているうちにめり込んでしまった。
まるで目の前の舞台そのものをみているようで俳優たちの緊張感が
そっくり伝わってくる。

容赦ないラストはなるほどラース・フォン・トリアー。
彼の作品は、見ないふり、聞かないふりをしようとしても許されない。




 
 闇と光のラビリンス

闇と光のラビリンス

(1982〜1989)チェコ  イジィ・バルタ 

1 「手袋の失われた世界」1982  2「見捨てられたクラブ」1989
3 「最後の盗み」1987   4 「笛吹き男」?1989

ウワサはかねがね、のチェコアニメに初めて出合ったのがこの作品集。
物置に投げ込まれた古いマネキン(クラブ)たちが繰り広げる、可笑しくも
不気味な世界「見捨てられたクラブ」。
モノクロの凄味を思い知らされる実写の「最後の盗み」。
欲望を描き切ったようなパペットアニメ「笛吹き男」。

そして、 軍手や毛糸の手袋たちのパロディ「手袋の失われた世界」。
「トムとジェリー」(たぶん)、ナチス(たぶん)、ソドム(たぶん)。
とりわけソドムの女王・白い長い手袋の動きは息をのむほど、淫ら。





 
 ふくろう

ふくろう

2003日本 新藤兼人 

満州から引き揚げた後、いまや廃屋ばかりとなった「希望ヶ丘」開拓村に取り残され、
木の根をすするしかない母娘。いよいよとなって母は、山向こうの
ダム工事の男たち相手に売春をはじめる。
都会からはじき出され男たちが、酔って語る身の上話は、
これまでの母娘の辛酸にも重なり同調しながら、
しかし二人の計画は着々と進む。
毒入り焼酎を飲ませて殺害し、甕に貯まっていく現金を数えては
世界地図を広げる母娘。
やがて…。

柄本明の出演作というだけで手にし、内心、ハズレでもいいや。
が、前言撤回。
男をせきたて、娘にVサインしながら襖を閉める母・大竹しのぶは
あいかわらず可愛くて、とてもとてもコワイ。




 
 ホテルルワンダ

「ホテル・ルワンダ」

2004南アフリカ/イギリス/イタリア テリー・ジョージ

世界中が見ているからフツ族もヘタなことはできない。
しかしそうではなかった。
1994年アフリカのルワンダで、虐げられていた多数派フツ族によって
100日で100万人のツチ族が虐殺された事件を背景にしたドラマ。

フツ族のポールが支配人を務める外国資本の高級ホテル。
そこを護っているのは、わずかな国連平和維持軍。援軍は来ない。
やっと来てくれた国連軍は、ホテルにいる外国人を救出するだけで、
あとは好きにしろ。
そして大虐殺が始まる。
見捨てられた絶望の中で、ツチ族の妻やホテルに逃げ込んできた
避難民たちを護りながら綱渡りのように交渉し、機転をきかせ、
ようやく逃れるまで、息もつけない。

直線が目立つアフリカの国境線。その地図その由来を思う。




 
 善き人のためのソナタ

善き人のためのソナタ

2006ドイツ フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

ラスト。
一冊の本を開いた瞬間、主人公がはじめて見せる表情。
それをどう表そうかと思いつく限りの言葉を並べてみるが、どれも違う。
違う。違う。

観た人と黙って頷きあえたら、それでいい。





 
 ストレイトストーリー

ストレイト・ストーリー

1999アメリカ/フランス デイヴィッド・リンチ

デヴィッド・リンチと言えば「イレイザーヘッド」。
何がなんだかわからないまま前のめりになって、観終わっても
しばし平衡感覚が戻らなかった。
そういう彼の作品だからと構えていたら…。

10年来音信不通だった兄の病気を知ったストレイト老人は、
自分の力で、唯一の足である時速8キロのトラクターで
兄の住む町めざし、広大な風景の中をとことこ。とことこ。
なにも起こらない。悪いヤツはいない。お説教もない。時々くすくす。
それだけ。
が、500キロの旅の末の兄弟の短い会話に、“あのリンチ”の
バランス感覚をみた思い。





 
 父と暮らせば

父と暮せば

2004日本 黒木和雄

いま喋っていた父が、すーっと部屋の暗がりに消える。
へんだなあ。
なんかへんだと思いながらみていて、あ?!

あらすじを読んで、だからみようという場合もあれば、タイトルや出演者、
監督の名前くらいの情報でいきなり向き合い、半信半疑のまま
座りこんでいっしょに呼吸している場合がある。
もちろん、どちらがどうとは言えないが、後者の出合い方で
嬉しくなった映画のひとつ。




 
 

扉をたたく人

2007アメリカ トーマス・マッカーシー

最近のニュースをみるたびこの映画を思い出す。
9.11以降の神経過敏なアメリカを描いてから、まだ10年ほど。
アメリカのみならず世界はいよいよ「扉」を閉ざそうとしているようだ。
外側から叩く音。内側から応えるかすかな音。その音のありかを
探す者もいれば、あえて耳を塞ぐ者。まるで聞こえない者。
聞きたくない・聞かせたくない人々が妨げる声を上げるほど、
その国はすでに危ういのではないか、と思ってしまう。

強制送還された息子のために、二度と出国できないシリアに戻る母。
現実のこのような人たちはその後どうなったのだろう。
「その後」なんて果たしてあるのだろうか。





 
 

ヤコブへの手紙

2009フィンランド クラウス・ハロ

牧師ヤコブの計らいで刑務所を出てきた中年女性の主人公にびっくり。
愛想の悪さ。意地の悪さ。人を信用しない。ツンツンの尖り方…。
それでもおよそ主人公らしからぬレイラの姿に、みるのをやめようとは
思わない。
反目の後の信頼、盲目の老人に届いていない手紙を読んでみせる
というのも、よくあるパターン。
けれど、場面のそこここがいつもひっそり浮かぶ。
葉っぱの上の一粒の水滴のように。

宗教絡みの感想も見聞きするが、それだけで括って欲しくないな。




 
 

ミステリアス・ピカソ〜天才の秘密

1956フランス アンリ・ジョルジュ・クルーゾー

いつ「映画」が始まるんだろうと思っているうちに、うつらうつら。
ふと目を覚ますと、シャーシャー。
何十本もの線が縦横に引かれ、ふっと浮かび上がったのはキングとクイーンの肖像。
鳥肌がたった。

画面のピカソは、時に監督とお喋りしながら描き続け、あるいは何度も描き直し、
やがて様々な「絵」が現れる。
それだけといえばそれだけのフィルムだし、何がどう秘密なのか私にはわからない。
ただ、過程を目撃した、という興奮が大きい。




 
 

赤線地帯

1956日本 溝口健二

売春防止法が成立する直前の吉原「夢の里」。
それぞれの事情で働く5人の娼婦たち…となれば、暗い・悲惨となりそう。
実際そうなっている部分もあるが、経営者のおかみの厳しくも暖かい姿や、
何より「働く・生きる」彼女らのパワフルさに救われる。
狂う女。娼婦に戻るしかない女。這い上がる女。けっして諦めない女。
そして「うち、八頭身や」自信たっぷりの一見ノーテンキな現代娘ミッキー。

炭鉱から売られてきて今夜「娼婦デビュー」する少女にかけるミッキーの言葉は、
なげやりのようでいて、受けて立つしかない励ましだ。




 prev.  index  next