夜凍河 20



 ゲスト松川穂波

yatouga20


写真:松川穂波










北京のカフェテラスで  松川穂波 
 メニューが黙って差し出されたのは わたしが外国人であるという理由だけではないようだった。おずおずと頬に恥じらいの微笑を浮かべ ぎこちなく盆を持つその姿は 生まれて初めて働きに出た少女のように見えた。壮麗な屋根に並ぶ神獣たちが今なお天子と都の安寧を見守り続ける北京旧紫禁城 故宮博物院の片隅にあるカフェテラス。閑散とした床に卓子に棗の実がこぼれていた。少女はお茶の注文を聞くなり ほっとした姿で引き返す。と すぐに厨房とおぼしいあたりから若々しい歓声が聞こえてきた。「やったぁ」「よかったわね」とでもいうような。あの旅の記憶はすでに遥かなものだが 白いジャスミンの花が一斉に開いたような うぶうぶしい気流だけは今も耳底にまぶしい。幼なくして単純。それゆえの素朴と美しさ。そしてそのことについての全くの無意識。いわば花の豪奢といったようなものが 時の経過と共にあっけなく喪われていくだろうという予感めいた哀しみ。かの国について しばしば「経済的成長」とか「発展」という言葉を目にするたび 何かが心から剥がれていくような気がするのは わたしがすでに日没しつつある国の成熟と郷愁のただなかにあるからであろうか。 



文学全集  滝 悦子 
  小説といえばSFや推理ものしか知らなかったのに、高校生になって突然、ロシア文学全集をねだって買ってもらった。第一回配本は「罪と罰」米川正夫訳。文章に負けないおどろおどろした挿絵が入った二段組み・五百ページ超。夢中になっている私をみては、母は苦々しく言ったものだ。「本など読まなくていい。」だから家を離れるときこの全集だけは持ち出した。たびたびの転居、ボヤ騒ぎや震災にもめげず、いまも全35巻は手元にある。昨年の夏だったか、ひさしぶりに手にして驚いた。活字が小さい。しかも横を向いていたり脱字もちらほら。それ以上に、数年ごとに読み返していたつもりだったのはドストエフスキーくらいのもので、他はほとんど開いた形跡がないことだった。それでもこうして四十年近くも大事にしているから、まあいいか。母が元気なうちに読破しよう。そうしてチェーホフを読み終えた一月。母が死んだ。独り暮らしだった家を片付けながら、本らしいものがなにもないと気づいたとき、やはり母は本嫌いというより、本を読む、読める環境にふかい恨みをもっていたのではないか。そんな母に、ふくれてねだって買ってもらった唯一の文学全集。次はどれにしよう。
 

                      

                

 

          初冬
                         
松川穂波

   
    傷口を囃(はや)す人らがいて
    裂けるたびにわたしは澄みゆく
    山も里もざりざりと痩せるころ
    丸い小さな秘密を揃えて
    陽にさしだす
    人らは
    (柘榴)
    と 
    囁き交わすが
    すでに
    わたしは
    果実を抜け出し
    名のない寓話である
    けざむい万象のなかで
    わたしの罪だけが赤く灯る

 






                              











     夜凍河20 2012.03 
 松川穂波  初冬  陸橋悲歌
 滝 悦子  フネスの店を出る










    

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