Collection詩  

  石原吉郎  




石原吉郎全集Ⅰより

 フェルナンデス  夜がやってくる  ゼチェ  足利  位置  

葬式列車  貨幣  居直りりんご  馬と暴動  墓
                           


  

フェルナンデス




フェルナンデスと
呼ぶのはただしい
寺院の壁の しずかな
くぼみをそう名づけた
ひとりの男が壁にもたれ
あたたかなくぼみを
のこして去った
   <フェルナンデス>
しかられたこどもが
目を伏せてたつほどの
しずかなくぼみは
いまもそう呼ばれる
ある日やさしく壁にもたれ
あたたかなくぼみを
のこして去った
   <フェルナンデス>
しかられたこどもよ
空をめぐり
墓標をめぐり終えたとき
私をそう呼べ
私はそこに立ったのだ
   









 夜がやってくる

駝鳥のような足が
あるいて行く夕暮れがさびしくないか
のっそりとあがりこんで来る夜が
いやらしくないか
たしかめもせずにその時刻に
なることに耐えられるか
階段のようにおりて
行くだけの夜に耐えられるか
潮にひきのこされる
ようにひとり休息へ
のこされるのがおそろしくないか
約束を信じながら 信じた
約束のとおりになることが
いたましくないか







 ゼチェ

その村をふいにはずれるとき
杙が立つ

<
ゼチェ>

ルーマニア語で<>
(とお)
ふいにはずれるのでなければ
その杙は立たぬ

<
ゼチェ>

なぜ<とお>なのか
ふたつのあしゆびのかずか
その村をふいにたずねるとき
その杙はたおれる

<
ゼチェ>

風のようにたずねて去るもの
ためにだけ
杙はたおれ
そして立ち 示す

<
ゼチェ>

ロシヤ革の軍靴の数か
さいごに死んだ
モルダビヤ人の数か だが
ゼチェはそのはるかむかしから
村の出入りをかぞえたのだ

<
ゼチェ>

モルダビヤよもうかぞえるな
かぞえるまえに
ゼチェはおわったのだ

<
ゼチェ>

まちがえるなそれはロシヤ語でない
ゼチェは旅びとが
滞在をゆるされた日かずだ
まちがえるなゼチェは
かろうじてその村に泊
(と)められる
旅びとの数だ

        註 モルダビヤはルーマニアの東部。第二次大戦初期、
          ソ連軍に占領され、爾後ソ連領に編入された。










 足利



  足利の里をよぎり いちまいの傘が空をわたった 渡
 るべくもなく空の紺青を渡り 会釈のような影をまるく
 地へおとした ひとびとはかたみに足をとどめ 大路の
 土がそのひとところだけ まるく濡れて行くさまを ひ
 っそりとながめつづけた








 位置


しずかな肩には
声だけがならぶのでない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓
(たわ)
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である






 葬式列車

なんという駅を出発してきたのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを






 貨幣

一枚の貨幣を支払うように
ひとつの町を支払って
彼はおのれの旅程を越えた
憑きものが落ちるように
彼から
一枚の貨幣が落ちた
彼が貨幣を支払ったか
貨幣が彼を支払ったか
おれは知らぬ
だが驢馬の刻印のある貨幣と
貨幣の刻印のある驢馬とは
ときに
ひとつの旅程ですり代るのだ
あるいは 死が人に
人が死に
生が兇器にすり代る
その夜 彼は
おのれの靴を抱いてねむったが
夜をこめて彼のかたわらでは
支払いのものおとがつづいた






 居直りりんご

ひとつだけあとへ
とりのこされ
りんごは ちいさく
居直ってみた
りんごが一個で
居直っても
どうなるものかと
かんがえたが
それほどりんごは
気がよわくて
それほどこころ細かったから
やっぱり居直ることにして
あたりをぐるっと
見まわしてから
たたみのへりまで
ころげて行って
これでもかとちいさく
居直ってやった






 馬と暴動

われらのうちを
二頭の馬がはしるとき
二頭の間隙を
一頭の馬がはしる
われらが暴動におもむくとき
われらは その
一頭の馬とともにはしる
われらと暴動におもむくのは
その一頭の馬であって
その両側の
二頭の馬ではない
ゆえにわれらがたちどまるとき
われらをそとへ
かけぬけるのは
その一頭の馬であって
その両側の
二頭の馬ではない
われらのうちを
二人の盗賊がはしるとき
二人の間隙を
一人の盗賊がはしる
われらのうちを
ふたつの空洞がはしるとき
ふたつの間隙を
さらにひとつの空洞がはしる
われらと暴動におもむくのは
その最後の盗賊と
その最後の空洞である






  







  かぎりなく
  はこびつづけてきた
  位置のようなものを
  ふかい吐息のように
  そこへおろした
  石が 当然
  置かれねばならぬ
           空と花と
  おしころす声で
  だがやさしく
  しずかに
  といわれたまま
  位置は そこへ
  やすらぎつづけた

     


 




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