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  天野 忠 




現代詩文庫85 天野忠詩集より

古い動物  私有地  犬  端役たち  

動物園の珍しい動物  叫び  
                           



 

古い動物

 
柱時計が
 てん、てん、てん、と
 三つ鳴ると
 もっそり起きてきて
 茶の間の隅に
 ちょぼんと坐り
 羊かんを一切れいただく。
 羊かん色をした顔の中の
 羊かん色をした口が

 もぐう、もぐう、もぐう、と
 羊かんを食べる。
 ぬるい濃い番茶を
 ごぼりと飲む。
 あたりを一寸見て
 それから
 うすい背中だけで
 ひらぺったくかえって行く。
 自分の暗い部屋へ。

 柱時計が
 てん、てん、てん、
 てん、てん、てん、と
 六つ鳴る食事刻まで
 死んだけものみたいに
 うっそりと寝ている
 そいつは
 俺ではない。
 その証拠に
 寝ながら俺はいま
 小声で
 カチューシャを歌っている……。






  私有地

 
五十五歳で
 父は
 卒中で倒れた。
 額に大きな瘤をもっくりとつけて
 いきなり死んだ。
 水を打ったばかりの狭い庭石の上で。
 河鹿笛が上手だった。
 母は
 長いこと寝たきりで
 六十歳で死んだ。
 畳のへりをさすりながら、熱い息をして
 あのとき
 私の方をしきりに見るふりをしたが
 私は眼をそらせて

 足をさすってばかりいて……

 父の五十五歳も母の六十歳も
 何の障りもなく
 私はスーッと通り越してきたのだが。
 
 いろいろなむかしが
 私のうしろにねている。
 あたたかい灰のようで
 みんなおだやかなものだ。
 むかしという言葉は
 柔和だねえ
 そして軽い……

 いま私は七十歳、はだかで
 天上を見上げている
 自分の死んだ顔を想っている。
 
 地面と水平にねている
 地面と変らぬ色をしている
 むかしという表情にぴったりで

 しずかに蠅もとんでいて……。






  


 
私に詩を教えてくれたのは
 粉屋の一匹の老いぼれ犬だ。
 尾を振って泥棒にでも首をすり寄せてくる
 やくざな老いぼれ犬だった ピンキーは。

 ワラ屑をあめ玉のようにしゃぶりながら
 私は彼を呼んだ
 のろのろと尾を振ってピンキーは
 あめ玉をもらおうと近づいた
 すばやくピンキーの口にワラ屑を入れてやった
 モグモグとワラ屑を噛み 噛みながら
 彼は あの老いぼれ犬のピンキーは
 ふしぎそうに 私を見上げた
 そして あゝ神よ 彼は恥ずかしそうにまばたきした
 老いぼれ犬の あのはにかみをたたえたまばたきを

 私は十歳だった
 粉屋の物置の裏で
 涙が出た。






  端役たち

 
破れた去年の蠅叩きをふりふり
 雪積む中を
 男が歩いて行く

 壊れた湯たんぽを抱きしめながら
 夏の炎天裡
 女が歩いて行く ひとりぽっちで

 野越え
 山越え
 …………

 地獄の門の前で
 彼らは しみじみと
 お辞儀をした

 ――おかわりありませなんだか
 一人が云った
 ――おかげさまで、どうやら
 一人が答えた
 それから門があいた
 ――おいで とやさしく
 鬼の小役人が招いた。






  動物園の珍しい動物

 
セネガルの動物園に珍しい動物がきた
 「人嫌い」と貼札が出た
 背中を見せて
 その動物は椅子にかけていた
 じいっと青天井を見てばかりいた
 一日中そうしていた
 夜になって動物園の客が帰ると
 「人嫌い」は内から鍵をはずし
 ソッと家へ帰って行った
 朝は客の来る前に来て
 内から鍵をかけた
 「人嫌い」は背中を見せて椅子にかけ
 じいっと青天井を見てばかりいた
 一日中そうしていた
 昼食は奥さんがミルクとパンを差し入れた
 雨の日はコーモリ傘をもってきた。






  

叫び




 草の中に神経質な虫が一匹いた
 世界中でいちばんちっぽけな奴で
 うまれつき風が恐くてならない
 風から逃げるために
 彼は汗を流して勤労し
 一年かかって穴を掘った

 穴の中に楽しく縮かんでいたら
 世界中でいちばんやさしい風が
 そっと吹いて
 穴の上のちっぽけな土を
 落としてしまった
 虫は
 世界中でいちばん小さな哀しい叫びをあげて
 往生した。

     


 


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